お寺のいろは① 日本仏教の始まりを、駆け足でおさらい!

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八坂の塔 神社、お寺の解説

「仏教の始まりから、日本で広まるまで」 ブッタから最澄・空海までをおさらいします。かなり、駆け足で進めます!

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始まり

仏教の開祖は、ご存じ、「釈迦」(しゃか)ですね。本名はゴータマシッダールタ。紀元前566年、シャカ族の王子として生まれました。

 

 

「この世では生物も無生物も、すべてがともに依存して生きていかなければならないが、人間は自己の存在に執着し、矛盾や誤解、抗争を生み出す。それを乗り越えるには、執着を捨てて、悟りを開かなければならない。それが苦しみの多い輪廻転生の輪から抜け出す唯一の方法である。」

 

つまり、仏教は「生きることは苦しみである」としたうえで、解脱(げだつ)して輪廻転生から解放される道を探る、という宗教です。
この真理に目覚めた人を「ブッタ」と呼びます。庶民にもこうした真理に目覚めれば、ブッタとなれる可能性があるのだから、それに近づくよう努力することが大事だと釈迦は説いたのです。

釈迦自身は、自分のことを「ブッタ」になるための指導者ではなく、教団の指導者でもないと思っていたのですが、弟子たちの要請にこたえ、人々に伝えることを決心し、布教していきます。
ですから、初期の仏教では「仏像」はなく、インド北部で初めて仏像がつくられたのは、入滅から500年後のことでした。

仏教は、釈迦の入滅後、みずからの修行を中心とする「上座部仏教」と大衆を救うことに重点を置く「大乗仏教」に別れました。
このうち「大乗仏教」が1世紀頃中国に伝わり、中国で儒教と道教を取り込んで「中国仏教」が誕生しました。

この流れをくむ、中国風にアレンジされた大乗仏教を日本人は知ることとなるのです。

日本での広がり 奈良仏教 平安仏教 鎌倉新仏教

6世紀前半、(日本の飛鳥時代)日本に伝えられた仏教は大きな力を持ちました。大きく奈良仏教・平安仏教・鎌倉新仏教と呼ばれます。

飛鳥・奈良時代

594年聖徳太子によって、「仏教興隆の詔」(ぶっきょうこうりゅうのみことのり)が出され、国の宗教となります。聖徳太子は、仏教思想を基本とした統治を目指し、「十七条の憲法」にも仏教思想が大きく反映されました。

そうして、奈良仏教が栄えます。この頃は、中国から持ち込まれた最先端の知識として、各宗の教理を研究する学問仏教でした。(南都六宗)

聖武天皇は、官位の国分寺・国分尼寺を建立。総国分寺は東大寺でした。(741年)お寺は、国の機関として位置付けられたのです。

奈良時代(710年~784年)には、有力な僧侶が政治に介入、財政を圧迫するようになります。そこで、784年桓武天皇は、長岡京に都を移し「政教分離」を図ります。ただし桓武天皇は仏教を信じる気持ちは篤く、純粋な宗教としてよみがえらせようとしました。

このとき桓武天皇にみいだされたのが、『最澄』と『空海』でした。

平安時代

平安仏教は加持祈祷(かじきとう)によって、貴族社会に浸透します。下記の天台宗、真言宗(平安二宗)は日本人が初めて開いた宗派です。

『最澄』(天台宗)

奈良の仏教に幻滅し、京都の比叡山で修行していた最澄を桓武天皇がみいだし、唐に派遣しました。
天台宗、密教、禅、戒律を学び、帰国。比叡山延暦寺で『天台宗』を開きます。当時、僧の免許は、「戒壇」という機関でのみ交付していましたが「戒壇」は奈良の寺院にしかありませんでした。最澄は延暦寺にも、独自の戒壇を作ることを朝廷に申請。嵯峨天皇によって認められました。

その後、延暦寺からは、浄土宗の法然、浄土真宗の親鸞、臨済宗の栄西、曹洞宗の道元、日蓮宗の日蓮など「鎌倉新仏教」の開祖が輩出されました。

『空海』(真言宗)

最澄と同じ船団で唐に渡り、真言密教を学び帰国。和歌山の金剛峯寺(こんごうぶじ)を建て、『真言宗』を開きました。 真言宗は総合的な天台宗に対して、密教のみを究めようとする専門性が強い宗派です。主要な本山は高野山金剛峰寺・長谷寺・仁和寺・醍醐寺などです。

こうして、現在につながる日本仏教の基礎が、築かれたのです。

おわりに

いかがでしたか?今回は仏教の始まりから、日本に伝わった経緯についておさらいしました。

中国で、儒教や道教を取り込んで、アレンジされた仏教は、初めて日本に入った時には、既にいくつもの宗派に分かれていたことが分かります。さらに、日本仏教として、数々の宗派に分かれて、発展していくのです。

平安時代の末期には、仏教は勢力を持つことが度々出てきます。僧兵、という言葉が出てくることからも分かるように、武力も持ちます。政治に干渉したり、寺社同士の勢力争いが激化することもありました。
戦国時代には、一国の武力に相当する組織となる寺社もでてきます。上記の比叡山延暦寺がまさにそうです。

江戸時代には、「檀家制度」(だんかせいど)が幕府によって定められ、お寺が、市役所や区役所のように戸籍を扱い、再び「行政機関」の役割を持つようにもなります。

このような背景を知って、寺社を訪れることもまた、一つの楽しみ方になりますよ。ただ静かに祈っていただけではない、歴史の一翼を担う宗教の側面は、諸外国と同様、日本でもみられるのです。

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