【犬王】犬王の能、もととなったエピソードⅡ【腕塚】

犬王 能面 犬王

この記事では、映画『犬王』・原作『平家物語 犬王の巻』で、犬王の作として登場した4つの演目について『平家物語』に記される元となったエピソードを紹介します。

今回は『腕塚』。

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犬王の『腕塚』

賀茂川で演じられた、犬王の『腕塚』。犬王が演じたのは誰で、なぜ腕を求めているのでしょうか。数多の腕が現われる理由は何なのでしょう。

「一の谷の合戦で片腕を失ったといえば、武将では平忠度(ただのり)である。

薩摩の守として知られる忠度は、その右腕を肘の上からぷっつりと斬り落とされた。」

『平家物語 犬王の巻』より

平忠度。彼は勇猛な武将であり、かつ歌人としても知られます。1184年3月、一の谷の戦いで最期を迎えたとされます。彼の最後は無情なものでした。『平家物語』によると直前までいた彼の手勢は百騎ほど。しかし彼らは敵を前に、我先にと逃亡したとされるのです。

平家家系図しかし犬王が演じたのは忠度その人ではありません。忠度に忠義を尽くそうとした一人の武士の亡霊です。

彼はすべての手勢が忠度を見捨てたとされる定説に『否』と唱えます。私はけっして主君・忠度を見捨てていないのだ。最後まで道を開こうとし、忠度のそばに居たのだと。
目の前で主君・忠度の腕が斬られ、首を斬られた。首は持っていかれ、腕も見つからない。『なんたる不埒。して腕はどこだ。』

半狂乱の武士は、早く、激しく舞います。

そして、敗走軍。海へと逃れようとする数多のものが、船に取り付きます。いく艘かの船が沈みました。
『身分のあるもの以外乗せるな』
船に取り付いた雑兵たちの腕は、斬り落とされました。

舟に乗れなかった者たちの取りすがる、腕、腕。渚に散乱した、一千本もの腕、腕、腕。

語る、名もなき武士のみたもの。語られた、物語。

 

観客が亡者から直接聞いているかのような演目を、犬王は演じるのです。腕、腕、腕。そして腕、腕、と求めているのは、亡者であり犬王自身でもあります。

映画『犬王』では、藁で作られた無数の腕が、舞台上さらには観客の足元にもしこまれ、ここぞという場で披露されました。おそらくは、賀茂川の河川敷で行われたこの演目。野外ならではの演出も”新作”の能の醍醐味として描かれていましたね。

加えて、舞う犬王の『人ならざる』腕は、観客を魅了します。腕、腕、腕、と忠義の武士が求めたために、あたかも異形の腕が現われたかのように人々には見えたでしょう。

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『平家物語』もとになったエピソード

そんな犬王の能のもとになった『平家物語』の場面を紹介します。原文・訳文の順に載せています。原文はクリックで拡大できます。

薩摩守、忠度の最期は『平家物語』では次のように書かれています。

巻第九、忠度最期より

 

「犬王」 「腕塚」 1

「犬王」 「腕塚」 2

「犬王」 「腕塚」 3

訳文

薩摩守忠度は、一の谷の西の手の大将軍であられたが、紺地の錦の直垂に黒糸縅の鎧を着て、肥えてたくましい黒馬に、沃懸地の鞍を置いて乗っておられた。その部下の兵、百騎ほどのなかにとりかこまれて、落ちつきはらって、馬をひきとめひきとめしながら退いて行かれたが、猪俣党の岡部の六野太忠純が大将軍にちがいないと目をつけ、馬を鞭うち、鐙をけって追いつき申し、
「そもそもいかなるお方でいられるか、お名のりなされ」
と申すと、
「これは味方であるぞ」
といってふりかえられた、その内甲をのぞき見ると、歯を鉄漿黒で染めておられる。「ああ、味方には鉄漿黒をつけた人があるはずはない、平家の公達であられるにちがいない」と思い、馬をおし並べてむずと組みついた。これを見て、百騎ほどあった兵どもは、国々から駆りたてた武者であったので、一騎もその場にかけつけず、我先にと逃走してしまった。
薩摩守は、
「憎い奴だ、味方だと言ったら、そう言わせておけばよいのに」
といって、熊野育ちで大刀の早技であられたので、すぐさま大刀を抜き、六野太を馬の上で二刀、馬から落ちたところで一刀、あわせて三刀までお突きになった。二刀は鎧の上からなので通らず、一刀は甲の内側へ突き入れられたが、軽傷なので死なずにいるのを、とり押えて首を斬ろうとされるところへ、六野太の童が遅ればせに駆けつけ、打刀を抜いて、薩摩守の右の腕を肘のもとからふつと斬り落とした。今はこれまでと思われたか、
「しばらく退け。十念を唱えよう」
といって、六野太をつかんで、弓の丈ほど投げのけられた。その後西に向い、声高く念仏を十篇唱え、
「光明遍照十方世界、念仏衆生摂取不捨」
と唱え終わらぬうちに、六野太が後ろから近寄って、薩摩守の首を討った。りっぱな大将軍を討ったと思ったけれども、だれとも名がわからなかったが、箙に結び付けられてあった文を解いてみると、「旅宿の花」という題で、一首の歌が詠まれてあった。
ゆきくれて木のしたかげをやどとせば花やこよひの主ならまし
(旅路に日が暮れ、桜の木の下陰を一夜の宿とすると、花が今夜の主人となってもてなしてくれることであろう)
忠度、と書かれていたので、薩摩守と知ったのであった。太刀の先に首をさし貫き、高くさし上げ、大音声をあげて、
「この日ごろ、平家の御方で名高い薩摩守殿を、岡部の六野太忠純がお討ち申したぞ」
と名のったので、敵も味方もこれを聞いて、
「ああ、おいたわしい。武芸にも歌道にもすぐれておられたお方を。惜しい大将軍を失ったことよ」
といって、涙をながし袖をぬらさない者はなかった。

忠度が一度、敵に対し「味方である」と偽ったのは、面白いですね。逃げおおせたいための卑怯な嘘というよりは、無益に相手を殺したくはない、といった態度でしょう。続く描写からも相手に助けが来なければ、忠度が勝っていただろうと分かります。

そして、平家軍の敗走の場面。

巻第九、坂落より

「犬王」 「腕塚」 4

岸辺には船がたくさん用意されてあったが、我先にと、一艘の船に武装した者ども四、五百人が一度に乗ろうとしたので、どうしてよいことがあろうか。岸辺からわずか三町ほど押し出したところで、目の前で大船三艘が沈んでしまった。その後は、
「身分の高い人は乗せても、雑兵どもは乗せるな」
といって、太刀や長刀で斬り払わせた。それとは知りながら、乗せまいとする船にとりつき、つかみついて、ある者は腕をうち斬られ、ある者は肘を斬り落とされて、一の谷の岸辺に朱に染まって倒れふした。

 

いかがでしたか。犬王の『腕塚』元になったエピソードを紹介しました。

余談ですが、現代でも演じられている能に、忠度の演目があります。『忠度』と銘打ったこの能の主役は忠度その人。

旅僧が桜の木陰で寝入っていると、夢の中に忠度の亡霊が現れます。忠度は、自分の歌が「詠み人知らず」として千載集に入っているのを嘆き、作者名を入れるよう、俊成の子の藤原定家に伝えてほしい、と僧に頼みます。その後、忠度は、一の谷の合戦で討ち死にした様子を表し、僧に回向を頼み、桜の木の下へと帰っていきました。

ご興味ある方は、御覧になられては?

今回はここまで。最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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