京都文化博物館
「舞妓モダン」画家たちが描いた京都の美しい舞妓たち (10月6日~11月29日)
行ってまいりましたので、概要とレビューのブログ記事を載せます。
京都文化博物館 重要文化財の建物
まず、この京都文化博物館、その別館の建物がレトロで素晴らしいところでした。
こちら、重要文化財、旧日本銀行京都支店です。明治39年(1906年)竣工で、明治を代表する洋風建築です。
赤レンガに白い石材(花崗岩)を帯状にめぐらせたデザインは、19世紀後半からイギリスで流行した様式で、明治建築をリードした辰野金吾がこのスタイルを積極的に用いたため、日本では「辰野式」と呼ばれる。また、屋上部分に置かれた左右対称の塔屋と、屋根から突き出した窓も辰野の特徴的なスタイルである。
同じテイストのデザインの建物として、同じ通りに中京郵便局もあります。どちらも現役で使われています。
文明開化の明治の雰囲気を存分に堪能できますよ。
「舞妓モダン」
舞妓。いまや京都を代表する文化の一つとして知られていますが、その歴史の詳細は意外にもわからないことばかりです。伝統文化の象徴のように思われる舞妓ですが、絵画に盛んに描かれるようになったのは近代以降のことです。明治5年、都をどりなどが始まると、芸舞妓が伝統都市・観光都市としての京都を象徴する存在として知られていきます。
明治26年に黒田清輝が《舞妓》(東京国立博物館・重要文化財)、明治42年に竹内栖鳳が《アレ夕立に》(髙島屋史料館)を発表すると、大正期にかけて、舞妓が盛んに描かれるようになります。そこでの舞妓は、美しく、時に妖しく、画家によってさまざまに描かれ、昭和期に入っても舞妓は多くの芸術家を惹きつけました。
本展では、都をどりの始まりから、舞妓が近代京都において、古都を象徴するイメージとして成長していく過程を、絵画作品を中心に紹介します。可憐で艶やかな舞妓図の競演を京都文化博物館でお楽しみください!
展示は大きく4つからなっていました。それぞれ印象的だった作品をあげていきます。
第一章 都をどりの始まり〜江戸後期から明治初期〜
「都をどり」が初めて開催された、その明治5年の映像展示を観ることができます。
田村宗立 加代の像
特に、印象的だった、加代、という女性。
文久2年華頂宮家に仕える江良千尋の娘として生まれ、祇園・井筒屋の舞妓となった人。西園寺公望に正妻として迎えたいと一度は東京へ。しかし西園寺家で大問題となりかなわず、祇園に舞い戻る。西園寺公望を虜にした美女として、名声はあがり、木戸孝允(桂小五郎)、伊藤博文も彼女に夢中になったのだとか。そして、三井源右衛門(三井財閥一族)に落籍され、安泰に過ごしたのだそうです。
なんという、ど派手な人生。しかし、写真を見ると、不思議と納得してしまいます。たたずまいからは、高飛車なくらいのプライドと、美しさが感じられるように思いました。
自身の魅力をしっかりと分かって、誇っているような姿は、圧巻です。
この加代の写真と、田村宗立の描いた肖像画とを観ることができました。
第二章 花ひらく舞妓図の世界〜明治中期から昭和戦前期〜
堂本印象 スケッチ
さらっと、描かれた線が、いちいち美しい、舞妓さん芸妓さん。どうしてこんな線が描けるのでしょう。
第三章 広がる舞妓イメージ〜絵画と文学、複製芸術〜
竹久夢二・野長瀬晩花 京女百態
装丁本を含めると10点以上、竹久夢二の作品を観ることが出来ます。中でも、「京女百態」は見ものです。
今回の展示で、私が一番心を動かされた作品でした。
この作品は絵巻物になっています。竹久夢二と野長瀬晩花は、島原の道中を見て、この絵巻物を描いたとのこと。夜中まで描いた、とありますし、即興に近かったのかもしれません。
舞妓の化粧姿、外を眺める後ろ姿。橋を渡る人々、変わり種は、壬生狂言のお面なども描かれています。もちろん、島原道中の図も。アイコニックな夢二の描く女性は、モダンで美しいです。当寺の女性の憧れたる女性像を描いた夢二、その審美眼は舞妓にも向けられたようです。
巻物に描くという趣向は絵物語を読むようで、贅沢な大人の童話に出会った気持ちになりました。
第四章 古都の象徴として〜昭和戦後から現代〜
ここでは、舞妓さんの写真を多数展示。可愛らしい舞妓さんが、レトロな街を歩く姿は、現代女性が見ても、素敵です。
また、大丸の協力で展示されている、「都をどり」の着物も、とてもあでやかで美しいものでした。
着物の背にある、枝垂桜の文様は八坂神社の氏子の印なんだとか。
第103回都をどり「都辺縁四季」
着物「波と百花」
第103回都をどり「都辺縁四季」
帯「松菱繍文」
第111回都をどり「花暦都八景」
着物「束ね熨斗」
第111回都をどり「花暦都八景」
帯「平安の調べ」
髪飾りや、帯飾りも見ることができました。
今回の展示を通して
描かれたり、映し出された舞妓・芸妓の姿は、とても美しく、凛としていました。時代によっては、売られた娘もいたであろう世界。色を売るという面もあったのでしょうが、それ以上に芸術の表現者・芸能の担い手としてプライドを持っている職業であったのだろうと思います。お客の側もまた、文化・芸能を形式にのっとって楽しむ、芸能の庇護者でもあったのでしょう。
舞妓さん芸妓さんの、あのだらりの帯。もう、あの帯一つでも芸術品です。着物、帯といった芸術品を、自身の体をキャンパスにでもするように纏って、舞い謡う。
帯は胸に近い高い位置で結び、背中で、だらりが揺れる直線を描く。肩幅は細く、座れば前のめりな姿勢が、気だるげで儚げ。造作が分かりにくい程の白ぬりは、アイコニックな舞妓・芸妓の理想的美を、多少無理くり押し込めたよう。動き、歩き、舞う芸術、だったのでしょうね。
今回の「舞妓モダン」、すばらしい作品に出会うことができました。
また、読み返したい作品も思い出させてくれました。「輪違屋 糸里」浅田次郎作品で、島原の芸妓、新選組が物語を彩ります。
いずれ、レビューも載せたいのですが、大作ですのでなかなか。しかし、島原や、芸妓、太夫、新選組や当時の京都の人々の考えなど、深く考えさせてくれる作品です。皆様もぜひ、読んでみてください。
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