河原町駅から徒歩5分。河原町から、四条大橋を渡るともう参道です。まっすぐ進めば、大きな朱色の楼門(ろうもん)が見えてきます。
”祇園祭”は八坂神社のお祭り
※日本の神話・歴史書である『日本書紀』に登場するスサノオノミコト。スサノオノミコトはインドの祇園精舎を守護する「牛頭天王」と同一視されました。牛頭天王は、頭が牛で憤怒の形相をした防疫の神。
876年、南都興福寺の円如が堂宇を建て、後に祇園天神堂を建立。平清盛、源頼朝、足利将軍家、豊臣秀吉、徳川家康らから信仰され、皇室からも皇城鎮護の神社として崇敬されました。
日本神話の代表格の神様スサノオノミコトを祀り、日本史に名をはせたそうそうたる面々に崇敬された、長い歴史があるんですね。
加えて、現代に続く日本三大祭りの一つ、祇園祭は、八坂神社のお祭りなんです。京都の夏の代名詞といえるこのお祭りは「疫病退散」を祈り、9世紀から連綿と守られてきました。
当初は、疫病の流行の時だけ行われる不定期なものでしたが、970年より、毎年行われるようになりました。保元、平治の乱や、応仁、文明の乱など時々の中断はあったものの今日まで続いています。
祇園祭は八坂神社が主催するものと、山鉾町が主催するものに大別され、関連祭事は1月以上の長さで6月中旬~7月いっぱい、続きます。宵山、宵々山、宵々々山には旧家や老舗にて伝来の屏風などの宝物の披露も行われるため、屏風祭の異名で呼ばれ、山鉾巡行ではさまざまな美術工芸品で装飾された重要有形民俗文化財の山鉾が公道を巡るため、「動く美術館」とも例えられます。
コロナ禍では規模を大幅に縮小して、神事を中心に行うよう。お祭りをまた、元の形で見られる日が早く来るとよいですね。
八坂神社のみどころ
鮮やかな朱色の楼門が目印
四条通りの突き当りに建つ、西楼門
本殿は拝殿と本殿を一つの大屋根で覆ったもので、祇園造りと称されます。重要文化財
舞殿
ご利益は神様それぞれ。摂社、末社
神社の中なのに、また小さな神社?と不思議に思うかもしれません。このお社は、摂社、末社といいます。
※一般には、摂社はその神社の祭神と縁故の深い神を祀った神社、末社はそれ以外のものと区別され、格式は本社が最も高くそれに次いで摂社そして末社の順とされる。
八坂神社境内にある、代表的な摂末社を3つ紹介します。あなたは、何をお願いしますか?
「疫神社」
むかしスサノオノミコトが旅の途中で宿を求めたところ、蘇民将来命(そみんしょうらいのみこと)が貧しいながらも精一杯もてなした。スサノオノミコトは、その後の子孫を疫病から守ることを伝え、茅の輪(ちのわ)を授けた。(茅の輪とは、神社の参道に設けるチガヤで作った輪。)
「疫病から守られる」というのは、古代から人々の切なる願いなのですね。コロナ禍の今も、ぜひあやかりたいご利益です。
「美御前社」(うつくしごぜんしゃ)
宗像三女神を祀っており、美容の霊験あらたかとして、女性を中心におおくの参拝者が訪れます。
宗像三女神とは、田久利毘売命(たきりびめのみこと)、市寸島比売命(いちきしまひめのみこと)、多岐都比売命(たぎつひめのみこと)。
アマテラスとスサノオの誓約で、アマテラスがスサノオの剣をかみ砕き、噴き出した霧の中から生まれたとされます。三女神のうちイチキヒメは別格扱いで、中世の神仏習合により、弁財天の化身とされました。
美容の霊験、ぜひ、あやかりたいものです!!
「大国主社」
大国主はスサノオから6代後の子孫で、様々な試練を乗り越えて「中国」(なかつくに)を平定し、国土運営を行った、とされる神。
「因幡(いなば)の白兎」のお話は有名ですね。
古事記に出てくるエピソードに『因幡の白兎が隠岐の島から因幡へ渡ろうとしてワニを並べてその背を渡ったが、ワニに毛皮をはぎとられて泣いていたところを、オオクニヌシに助けられた。』というものがあります。
この、ウサギとオオクニヌシの物語は、小さいころに聞いた方もいらっしゃるのでは。写真の像は、そんな彼らが、会話するような様子で並んでいます。マスク姿は、コロナ禍を感じさせますが、なんとも愛らしいですね。
こちらは、縁結びのご利益があるそようですよ。
他にも、愛嬌のあるえびすさんの像のある「北向蛭子神社」、珍しい「刃物社」など、ぐるりと境内をまわって、探してみてください。
私がお参りした摂社。「疫神社」「太田社」「北向蛭子神社」「大国主社」「大年社」「十社」「神馬舎」「美御前社」「悪王子社」「日吉社」「五社」「刃物社」「厳島社」
祇園祭の代表的な祭事3つ
さて、通常であれば行われる神事をいくつか、紹介しましょう。
16日 宵山
山鉾巡行の前夜で、各山鉾には灯がともり、祇園囃子が流れる中、山や鉾に乗ることができます。また、この日だけのお守りも売られるそう。
室町通りや新町通りでは献灯の高張提灯を建て、幔幕を張った家々では、代々伝わる屏風を見せる慣習があります。夕方から夜にかけて各山鉾では駒形提灯をつけ、囃子方は祇園囃子を奏します。また翌日の山鉾巡業の好天を願って日和神楽が八坂神社へ向かいます。
17日 山鉾巡業
午前9時、四条烏丸に勢ぞろいした山鉾は「エンヤラヤア」の掛け声で動き出します。四条境町でくじ改め、麩屋町で注連縄切りが行われます。
四条通りでの巡行はお渡りと言ってゆっくりしたお囃子で進み、四条寺町の御旅所で八坂神社を拝礼後は戻り囃子といい、速くなるのだそう。
また、四条河原町と河原町御池などでは、方向転換をする辻回しが行われます。これも見どころの一つですね。御池通り西進した山鉾は新町通りあたりで解散しそれぞれの町へ帰ります。
24日 花笠巡行
傘鉾十基に馬長、児武者などが祇園石段下を出発、四条通りを西進、河原町通りを北上、御池通りを西に進み、寺町御池から四条寺町、八坂神社へと進みます。八坂神社では、芸能の奉納などを行います。
例年これらの祭事の行われる日は、黒山の人だかり。目的の方向に歩くことさえ難しいほどです。2021年、本来の姿が見られることを、切に願っています。
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