アニメ「平家物語」第4話、徳子は懐妊します。しかし、体調が思わしくありません。
徳子の懐妊と苦しみ
巻第三、「赦文」より
訳文
こうして月が重なるにつれて、中宮はお体の苦痛を訴えられる。一度笑うと百の媚があったという漢の李夫人が、昭陽殿で病の床につかれていたさまもかくやと思われ、唐の楊貴妃の、一枝の梨の花が春の雨にぬれ、蓮の花が風にしおれ、おみなえしが露にうなだれると形容された姿よりも、なお、いたわしい御様子である。このような御苦悩のときを機会に、おそろしい物の怪どもが、中宮にとりつき奉った。
残された俊寛
建礼門院(この時は中宮)徳子の解任に際し、多くの罪人に赦免がされました。徳子は懐妊以来体調が良くなく、これを鹿の谷の陰謀により罰せられた者たちの死霊・生霊のせいと、当時の人々は考えました。
無実の人や、恨みを残して非業の死をとげた人の霊が、怨霊としてたたりを成すという思想、それを怨霊神として祀る信仰が平安時代にはあったのです。
様々な、怨霊を鎮める試みの後、鬼界が島に流された、成経らの赦免も行われました。しかし、俊寛は一人、許されなかったのです。
アニメ「平家物語」第4話、びわによって吟じられたのは、恩赦にもれ鬼界が島に残される、俊寛の描写でした。
巻第三、「足摺」より
意訳
もはや舟を出すべきだと、ざわめきたつと、俊寛はこの舟に乗っては下り、下りては乗って、なんとか、ともに帰りたいその願いのままにふるまわれた。しかし、それもむなしく、少将の形見には夜具を、康頼入道の形見には一部の『法華経』が残され、俊寛は置去りにされてしまう。纜(ともづな)を解いて舟をおし出すと、僧都は船の網にとりついたまま海に入って、海水が腰になり、脇になり、背丈のたつまで引かれていった。背丈もとどかなくなると、船にしがみついて、
「あなたがたは、この俊寛をついに見捨てて行かれるのか。これほどつれないとは思わなかった。日ごろの友情も、今はなんにもならない。ただ無理にでも乗せてくだされ。せめて九州の地まででも」
と嘆願したが、都の御使いは、
「どうあっても相成りません」
といって、船端にとりすがっている手を払いのけて、船を沖へと漕ぎ出した。
僧都は、今はどうすることもできず、波うちぎわにもどって、倒れ伏し、幼い子が乳母や母の後を慕うように、じだんだを踏んで、
「これ、乗せてゆけ、連れて行け」
と、声をはりあげて叫んだが、漕ぎ行く船の常として、跡に白波が残るばかりであった。船はまだ遠く去ってしまったのではないのに、涙に目がくもって、見えなくなってしまったので、僧都は高い所に走り上り、沖の方を手招きした。その昔、あの松浦佐用姫(まつらさよひめ)が、夫を乗せた唐船を慕って、領巾(ひれ・古代の装飾布)を振ったというその悲しみも、この俊寛の嘆きにはまさるまいと思われた。
「あなたがたは、この俊寛をついに見捨てて行かれるのか。これほどつれないとは思わなかった。日ごろの友情も、今はなんにもならない。ただ無理にでも乗せてくだされ。せめて九州の地まででも」
と嘆願したが、都の御使いは、
「どうあっても相成りません」
といって、船端にとりすがっている手を払いのけて、船を沖へと漕ぎ出した。
僧都は、今はどうすることもできず、波うちぎわにもどって、倒れ伏し、幼い子が乳母や母の後を慕うように、じだんだを踏んで、
「これ、乗せてゆけ、連れて行け」
と、声をはりあげて叫んだが、漕ぎ行く船の常として、跡に白波が残るばかりであった。船はまだ遠く去ってしまったのではないのに、涙に目がくもって、見えなくなってしまったので、僧都は高い所に走り上り、沖の方を手招きした。その昔、あの松浦佐用姫(まつらさよひめ)が、夫を乗せた唐船を慕って、領巾(ひれ・古代の装飾布)を振ったというその悲しみも、この俊寛の嘆きにはまさるまいと思われた。
恥も外聞もなく、最期の力をふりしぼって嘆願する、その俊寛の姿を詠嘆する、一説です。
安徳天皇の誕生
徳子のお産のその時、うろたえる清盛、『千手経』を高らかに読みあげる後白河法皇。そして皇子が誕生します。後の安徳天皇ですね。ここに極まった、平家の栄華。清盛は声をあげてうれし泣きをしたとあります。
びわがみた、波間に沈む幼子の姿。安徳天皇の運命は平家とともにありました。
最後まで読んでいいただき、ありがとうございました。
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