重盛が兵を率い、内裏を守った比叡山と院の対立。アニメ「平家物語」第三話では、また別にひとつの事件も起こっています。
平家を疎ましく思い始めた、後白河法皇。比叡山の事件と前後して、平家を滅ぼす謀がめぐらされていました。その舞台となったのが三井寺のすぐ近く、鹿谷(ししのたに)というところでした。
鹿谷の陰謀
めぐらされる陰謀 瓶子(へいじ)のくび
俊寛僧都の山荘だったこの場所で、大納言成親(なりちか)らが謀議を行っていました。その場に、後白河法皇も訪れた、と平家物語は書いています。後白河法皇の側近で比叡山とのトラブルの関係者、西行もいました。
巻第一、「鹿谷」より
東山の麓の、鹿の谷という所は、後ろは三井寺につづいて、堅固な城郭の地であった。ここに、俊寛僧都の山荘があった。成親らはこの山荘に常に会合して、平家を滅ぼす謀をめぐらしたのであった。あるとき、法皇もこの場に臨まれた。故少納言入道信西の子息の、静憲法印がお供に従った。その夜、密議のあとの酒宴に、法皇が、平家打倒の陰謀を静憲法印にお話しになると、静憲はおどろいて、「これはとんでもないこと。人が大ぜい聞き耳をたてています。今にも洩れ聞えて、天下の一大事になりましょう」と、狼狽して言われたので、新大納言は顔色を変えていきなり立上がられたが、御前にあった瓶子(へいじ)を、狩衣の袖にひっかけて倒された。法皇が、「これはどうしたことか」と言われると、大納言は、座にもどられて、「平氏(へいじ)が倒れました」とこたえられた。法皇は、ご満足げに笑みをたたえられて、「皆の者、参って猿楽を演じなさい」と仰せられた。
この陰謀に加担した人は誰々かというと、近江中将入道蓮浄、俗名は成正、法勝寺執行俊寛僧都、山城守基兼、式部大輔雅綱、平判官康頼、宗判官信房、新平判官資行、摂津国源氏多田蔵人行綱をはじめとして、北面の武士たちが大ぜいこの企てに参加したのである。
「瓶子」「平氏」を「へいじ」と同じ読みでかけ、意地の悪い言葉遊びをしているさまが、描かれます。
西行のふてぶてしさ、清盛の激高
山門の騒動のために、平家打倒の謀は実行には移されずにいましたが、行綱という人物がこのことを清盛に密告したため、ことが露見しました。清盛は激怒。
成親をはじめ、謀議に関わった者たちを捕縛。西光法師は後白河法皇のいる法住寺殿へ向かおうとしますが捕らえられ、西八条の坪庭に引き据えられました。
巻第二、「西光被斬」より
訳文
殿上人としての交わりをさえ嫌われた人の子で、太政大臣にまでなりあがったことこそ、過分というべきでしょう。(略)」とはばかることなく言いたてた。
清盛は怒りのあまり、しばらく物も言えないほどでした。このあと、激しい尋問、拷問を受けた西行は五条西朱雀で切られました。成親もまた、捕らえられ流罪が決まり、その子成経もまた、流罪となりました。
多くの関係者を処分してもなお、おさまらない清盛。
後白河法皇を捕らえる!?武装する清盛
巻第二、「教訓状」より
訳文
法皇への奉公は思い切った、そう断言する清盛。彼の武士としての激しい性格が現れています。
後白河法皇や側近の言動を読むと、清盛の怒りももっとも、と思わなくもないですが。この一触即発の事態、重盛はどうおさめたのでしょう。
なんとも鮮やかな重盛の采配は、次回です。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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