『平家物語』第三話、物語は大きく動き出しました。第三話では、重盛は大きな二つのトラブルに、巻き込まれています。ひとつは、朝廷に強訴をしに、神輿を担いで押しかけた僧兵事件。重盛は鎮圧を言い渡されました。もうひとつは、後白河法皇と側近たちによる打倒平氏の陰謀「鹿谷の陰謀」が発覚し、父・清盛が後白河法皇を幽閉しようとした事件です。これも、重盛がなんとか、おしとどめました。
今回はひとつめの、延暦寺の強訴の件について、取り上げます。第三話の中で、琵琶法師が吟じた一節は、比叡山の大衆(僧兵)と、迎え撃つ重盛達の様子を伝えています。
延暦寺の強訴
背景に土地をめぐる対立が
安元元年(1175年)12月、後白河法皇の寵臣・西行の子、師高が加賀守に任じられました。国務において、神社寺院や権門勢家の荘園領地を没収するなど、強硬な政策をとったようです。
当時は、不輸不入の権利をもつ荘園を所有していた寺院。朝廷による税を避けようと、各地域の領主が大寺院や貴族、権門に寄進した経緯もあって、寺社のもつ荘園は広大でした。
院政の政治的目標のひとつはこれらの荘園拡大の抑止でしたので、師高の政策は後白河法皇の意図をくんだものだったでしょう。
こうなると、院庁と寺の対立は避けられないものとなります。
事件の発端は、師高の弟・師経が目代として着任してすぐ起こした寺僧への狼藉でした。風呂を所望し、入浴していた寺僧を追い出し、自分たちが使うという、何ともしようのない行いをした目代。どうやら、挑発の意図もあったようです。その場でも斬り合い、後に兵を差し向け、寺を焼いてしまいました。
しかし、国府の勢力よりも、白山神社をたのんだ寺社の僧兵の勢力は勝りました。寺社の反撃に、目代は京へ逃げ帰り、白山の神輿を担いだ僧兵は比叡山延暦寺に協力を仰ぎました。
比叡山3000の衆徒も敵にまわすこととなり、ことは大きくなってしまいました。
天下の三不如意
「賀茂河の水、双六の賽、山法師。是ぞわが心にかなはぬもの」とは白河院の言葉。
この、山法師、というのは延暦寺の僧を指します。
その山法師(僧兵)たちが師高を流罪に、師経を禁獄に処すよう求めます。しかし一向に沙汰されなかったために、ついに、神輿を担いで内裏の門に向かって迫りました。
平氏は小松の内大臣・左大将重盛、叔父の頼盛、教盛、経盛ら3000騎が、源氏は源頼政ら300騎が、守備に立ちました。
巻第一「神輿振」より
意訳
この防戦の際、神輿にも矢は当たってしまい、大衆の怒りは収まりません。一旦は逃げ帰った彼らがまた大挙して都に降りてくるのではと、慌て騒ぐ京都の人々。
この件は、師高の配流、師経投獄、という形でなんとかおさまったかにみえました。
しかし、トラブルは続きます。その年に起こった京の火災は激しく、内裏や小松殿も焼けました。この火事に比叡山の僧が関わったというのは噂に過ぎなかったはずですが、比叡山の天台座主明雲が処分されます。
これは後白河法皇側の師高・師経処分に対する報復だったでしょう。公卿たちでさえ、明雲弁護に傾いていましたが、後白河法皇は明雲配流を決定しました。
この後、大衆は明雲の奪還を決行します。
トラブルがトラブルを呼び、報復の応酬が続いたのですね。
今回は、ここまでです。また、「鹿谷の陰謀」と重盛の対応についてあげていきます。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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