【平家物語】娑婆の栄華は夢の夢【アニメ2話 びわが吟じた原文】

椿  平家物語

アニメ「平家物語」第二話でまた、美しいシーンがありました。今回はびわが未来をみるときに、しあわせそうに笑っていて、印象的でしたね。清盛の元を離れることを選択した、女たちの姿は、すがすがしく、清らかでした。

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白拍子

舞い謡う、男装の芸能者

 

白拍子(しらびょうし)は、平安時代末期から鎌倉時代にかけて起こった歌舞の一種。及びそれを演ずる芸人。

主に女性が男装で(水干に烏帽子をつけて)、今様をうたい、舞いました。その時々の上手い言葉遊びができる者は、重用されたようです。一定以上の教養や技術力を求められ、けしてただ色を売っていたわけではありません。

祇王

祇王は母の刀自(とぢ)、妹の妓女とともに、京都で有名な白拍子となり、平清盛に寵愛された人です。

あるとき、仏という、年若い白拍子が、自身の立身出世を求め、清盛邸を訪れます。一度は追い返されますが、同じ白拍子の祇王がとりなして清盛の前で謡うこととなるのです。しかしその後、清盛の寵は仏御前に移り、祇王は清盛に出ていくように命じられてしまいます。
去り際に祇王が障子に書き残した一首が、

萌え出づるも 枯るるも同じ 野辺の草 いづれか秋に あはで果つべき

(春に芽をふく草も、枯れていく草も、もともと同じ野辺に生いたつ草で、いずれは秋にあって枯れ凋むものです)

です。冷遇の末、仏御前の慰め役までやらされるという屈辱を味わわされ、祇王は自殺を考えるまでに。しかし、母の説得で思い止まり、母のとぢ、妹の妓女とともに嵯峨往生院(現・祇王寺)へ仏門に入りました。

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原文から

『平家物語』巻第一祇王からの、抜粋です。

そして、そんな祇王のもとを、仏御前が訪ねてきました。アニメの第3話で美しく吟じられたのはこの場面。クリックで拡大できます。

巻第一、「祇王」より

祇王1

祇王2

祇王3

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現代語訳

祇王は、
「これはどうしたのです、仏御前と見受けますが、夢でしょうか、現でしょうか」
と言うと、仏御前は涙をおさえて、
「このようなことを申しますと、今更めいた言い分になりますが、申し上げなければ非人情な者となってしまいますので、事のはじめから申すのです。もともと私は、お召しでもないのを、おして参った者で、追い出されましたのを、祇王御前のおとりなしで呼び戻され参上しましたのに、女のはかなさには、わが身を思うにまかせることができず、わが意に反して入道殿のもとにとどめられましたことは、なんとも心苦しい限りでした。いつぞやは又、あなたが召し出されて、今様をお歌いになった折りも、つくづくと身につまされる思いをしたことでした。いつかはわが身のうえにくることであろう、と思われて、うれしいなどとは、まったく思いません。また、襖に『いづれか秋にあはではつべき』と書き置かれた筆の跡をみて、まことに、と思ったことでした。そののちは、お住居をどことも存じませんでしたが、このように出家して、御いっしょに仏の道にはげんでおられるとお聞きしてからは、あまりに羨ましくて、常々お暇を願っておりましたが、入道殿は一向にお許し下さいません。つくづく考えますと、現世での栄華は夢のなかで見る夢のようなもの、楽しみ栄えたからといって、何になるでしょう。人間として生まれることはまれであり、仏教との出合いもむつかしいことです。この度、地獄に沈むようなことになれば、幾度生まれかわり、どんなに長い年月を過そうとも、浮び上って極楽浄土に往生することは困難です。年の若さは頼りになりません。老いた者も若い者も、どちらが先に死んでいくか、定まりないのがこの世です。一呼吸の間も、死は待ってくれません。かげろうや稲妻よりもなおはかないのです。一時の楽しみにいい気になって、死後の世界を省みないでいることが悲しくて、今朝、入道殿の邸をしのび出て、このような姿になって参りました。」
といって、かぶっていた衣をとりのけたのを見ると、尼になっていたのであった。
「このように、尼となって参りましたので、これまでの罪はお許し下さい。許そうとおっしゃって下さるなら、ごいっしょに念仏に励んで、極楽浄土の一つ蓮の上に往生いたしましょう。それでもなお納得していただけないのなら、これからどこへなりともさまよって行き、どのような苔の上にでも、松の根もとにでも倒れふして、命あるかぎり念仏し、往生の願いをとげようと思います」
と、涙ながらに訴えると、祇王も涙をおさえて、
「ほんとうに、あなたがこれほどまでに思っておられるとは、夢にも知りませんでした。憂い、つらいこの世の常として、わが身の不幸なめぐりあわせだと思いあきらめるべきことでしょうに、ともするとあなたのことばかり恨めしくなって、往生の願いがかなえられるとも思われませんでした。この世でも、来世でも、いい加減で中途半ぱになってしまった気持でおりましたが、このように姿を変えて来られたので、日ごろの恨みはすっかり消えさりました。今はうたがいなく往生できるでしょう。こんどは常日ごろの望みのかなえられることが、このうえもなくうれしいことです。(略)さあ、ごいっしょに往生をねがいましょう」
と四人いっしょに庵にこもって、朝に夕に、仏前に花、香をそなえ、一心に浄土への往生をねがって、念仏に専心したので、遅い、速いのちがいはあったが、四人の尼たちは、みな往生の本望をとげたということである。

声に出して読みたくなるようなうつくしい文章ですね。この段では、祇王や仏御前への清盛の一連の仕打ちも、清盛の奢った行動の一つとして、描写されたのです。しかし、彼女たちは彼を離れる(出家する)という行動出て、うき世のつらさから解放されたのでしょう。

今回はここまで。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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