【平家物語】後白河法皇、幽閉される【アニメ5話】

びわ 平家物語

 

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法皇、幽閉される

院の近臣の処分に続き、ついに後白河法皇の元にも兵が訪れました。

巻第三、「法皇被流」より

巻第三 法皇被流 1

 

巻第三 法皇被流 2

訳文

同二十日、院の御所の法住寺殿の四方を、軍兵がとり囲んだ。平治の乱のとき、信頼が三条殿にしたように、御所に火をかけて人をみな焼き殺すであろうという噂がひろがったので、局の女房や女童は、物もかぶらず、あわてふためいて、逃げ走った。法皇もたいそう驚かれた。前右大将宗盛卿が、御車を寄せて、
「早くお乗りくださるように」
と申しあげると、法皇は、
「これはいったい何事か。何の誤りがあるとも思われないが。成親や俊寛のように、遠い国、はるかな島へ遷そうというのであろうか。主上があのように若くておられるから、政務に口ぞえをするまでのことだ。それがよろしくないというなら、今より後は関与住まい」
と仰せられた。宗盛卿は、
「そういうことではありません。世間を鎮めるまでの間、鳥羽殿へおいでいただこうと、父入道が申しております。」
「それでは宗盛、このまま御供せよ」
と言われたが、宗盛は、父入道のきげんを恐れて、参らない。
「ああ、これをみても兄の内大臣には格段と劣った者であるかな。先年も、このような目にあうところであったが、内大臣がわが身にかえて清盛を制しとどめたから、今日まで安泰でいられたのだ。今は諫める者もないので、このような行動にでたのであろう。これから先も、頼りにはできない」
と、法皇はおそれ多くも御涙をお流しになった。

先に、静憲法印が伝えた清盛の言分に「道理至極して、仰せ下さるる方もなし。」法皇もまったく道理にかなっている、と何も言えなくなっている様子が書かれたはずなのですが、いざ、軍兵に囲まれると法皇は「何の誤りがあるとも思われない」と追及をかわそうとしています。

しかし、思い当たることには事欠かない後白河法皇。政治の実権の行使を手放す発言をしています。これは『百錬抄』に後白河法皇側から実権を手放す旨の申し入れがあったと、記されおり事実のよう。実質、院政は停止され、平氏が政権を握ったことになります。まさに、清盛による政変、クーデターが起こったのです。(清盛が高倉天皇の宣命を受たという建前ではあったのですが)

そして、今更のように、重盛がいたときは良かったと、さらっと宗盛をディスる法皇。宗盛も「事の外おとりたりける者」とまで言われては、可哀想ですね。

しかし『平家物語』では宗盛はその最期に至るまで、凡庸な人物として描かれるので、後白河法皇からの評価だけが、悪かったわけでもなさそうです。
木曽義仲が京に迫ったときなども、冷静な対応はできず、実際優れたリーダーとは言えません。

宗盛は、自身の平家の頭領としての基盤を固めて行くため、前の頭領・重盛の子らを抑えようとしました。
『平家物語』において重盛が理想的な礼節の人として描かれていることは明らかですので、その重盛の子らを目の仇のように扱う宗盛は、『平家物語』においては、嫌われ者なのでしょう。

静憲法印、という人物についても、少し触れます。

彼は、鹿谷の陰謀の場面にも登場していました。後白河を天皇に押し上げた信西の子で、後白河法皇の信任も篤い静憲法印。鹿谷の陰謀の現場にも居合わせますが、陰謀に加担はしなかったようです。
『愚管抄』に「万ノ事思ヒ知テ引イリツツ、マコトノ人ニテアリケレバ、コレヲ院モ平相国モ用テ」と記され、後白河法皇からも、平清盛からも信頼されていたようです。
彼は、幽閉された後白河法皇の傍へ仕えることを許されました。『平家物語』では、この静憲法印、後白河法皇を慰める際、「凶徒は水の泡と消え失せ候べし」と言っており、清盛にとっては、平家の滅亡を予言する彼はより警戒すべき人物だったのかもしれませんね。

今回はここまで。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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