【平家物語】倶利伽羅落とし【アニメ8話 びわが吟じた原文】

びわ 平家物語

「平家物語」第8話。ついに、木曽義仲が動きました。平家方の城氏を「横田河原の戦い」で破った、義仲。平家は、大規模な軍勢を組織します。平維盛、通盛、行盛、知度、経正、清房の6人を大将軍とし『平家物語』では10万、『玉葉』では4万とされる軍勢が北陸道を北上しました。

最初に行われた、越前の「火打城の戦い」では平氏軍が勝利しています。ここでは、まだ、木曽義仲は現れていません。その後も平家軍が有利に北上しますが、ついに、義仲の軍勢と対峙することになります。

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倶利伽羅落とし

今回びわが吟じたのは、有名な「倶利伽羅峠の戦い」の場面。アニメでは、義仲は戦の日取りを決めておいて、その前夜に夜襲をかけたように描かれましたね。原文とは少し違ったようです。見ていきましょう。

「倶利伽羅峠の戦い」
1183年5月、越中・加賀国の国境にある砺波山(となみやま)の倶利伽羅峠(現富山県小矢部市-石川県河北郡津幡町)で源義仲軍と平維盛率いる平家軍との間で戦われた合戦。義仲軍は平家軍と対峙すると「懸け合い戦法」をもちかけます。「懸け合い戦法」は一騎あるいは数騎の武者が名乗りをあげて戦うもの。こうして夕暮れ時となった頃、義仲の配した包囲網は完成していました。義仲は軍を何手にも分けていました。そうして3方向から攻め、わざと残された南へと、平家軍をおいやります。これは孫子の「欠囲の法」と呼ばれる戦略。平家が逃れた南側にあるのは、地獄谷。維盛の軍勢は、多くが滑落したとされます。ちなみに「牛の角に松明(たいまつ)をつけて敵中に向けて放つ」という「火牛の計」という策は、「源平盛衰記」で創作されたエピソードのようです。

原文は以下。

巻第七、「倶利伽羅落」より

巻第七 倶利伽羅落 1

巻第七 倶利伽羅落 2

巻第七 倶利伽羅落 3

画像はクリックで拡大できます。

訳文

さて、源平両軍は向いあって陣を構える。陣の間、わずか三町ばかりのところまで、たがいに軍を進めて対峙した。それからは、源氏も進まず、平家も進まない。源氏の側から、すぐれた兵十五騎を楯の前面に進ませて、十五騎がそれぞれの上差しの鏑を平家の陣へ射こんだ。平家の方では、謀りごととも知らず、同じく十五騎を出して十五の鏑矢を射返した。源氏が三十騎を出して射させると、平家も三十騎を出して三十の鏑矢を射返す。五十騎を出すと五十騎を出して対応し、百騎を出すと百騎を出して応戦し、双方が百騎ずつを陣の全面に進ませた。
たがいに勝負を決しようと勇みたったが、源氏の側から抑制して戦わせない。源氏はこうして日の暮れるのを待ち、平家の大軍を倶利伽羅が谷へ追い落とそうと謀っていたのを、平家はすこしも察知せず、源氏の行動に対応して日を暮らしているのは、たよりないことであった。
しだいに暗くなってきたので、北と南の両方からまわった搦手の軍勢一万余騎は、倶利伽羅の堂(現・手向神社内)のあたりで合流し、箙(えびら)の方立をたたいて、どっと鬨の声をあげた。平家は後ろをふりかえって見ると、白旗が雲のようにさしあげられている。
「この山は四方が巌壁だというから、よもや敵は搦手にはまわるまいと思っていたのに、これはどうしたことか」
と狼狽し、さわぎあった。いっぽう、木曽殿は大手から、搦手の軍勢にあわせて鬨の声をあげられた。松長の柳原、ぐみの木林に待機していた一万余騎の軍勢も、今井四郎が六千余騎で日宮林にいた軍も、同時に鬨の声をあげた。前後四万騎の喊声は、山も川もただ一度に崩れるように轟いた。
計略どおり、平家は、しだいに暗くはなる、前後から敵は攻めてくる、
「見苦しいぞ、引き返せ、引き返せ」
と叫ぶ者も多かったが、崩れかかった大軍をたてなおすことはむずかしく、総崩れとなって、倶利伽羅が谷へ我先にと馬を乗りおろしていった。まっ先に進んだ者の姿が見えなくなるので、この谷の底に道があるにちがいないと、親が馬を下らせると子も下ろし、兄が乗りおろしていば、弟もつづく。主が乗りおろせば家子、郎等も下らせていった。こうして、馬には人、人には馬が落ち重なり、落ち重なって、たいそう深い谷をすっかり七万余騎の平家の軍勢で埋めてしまった。岩間の渓流は血を流し、積み重なった死骸は丘をなした。それで、この谷のあたりは、矢の穴、刀のきずあとが残って、今もあるということである。
白旗、は源氏の象徴です。やがて、京へ攻め上る、その白旗の軍勢が、維盛率いる平家軍の背後に密かに配備されていたのです。資料により異なってはいるものの、維盛率いる平家軍は数の上では、義仲軍より有利でした。しかし、地の利があり、兵法の戦略を駆使した木曽義仲の戦術に平家は大敗してしまったのです。
粗野な田舎者、と描かれる義仲ですが、戦においては相当な策士であったようです。この勝利の勢いのまま、京へと進軍していきます。
今回は、ここまで。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
続きの記事
木曽義仲の進軍の経過図、倶利伽羅峠の布陣の図を載せ、紹介しています。合わせてご覧ください。→【鎌倉殿の13人】木曽義仲の進軍【倶利伽羅峠の戦い】

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