【平家物語】富士川の戦い【アニメ6話 びわが吟じた原文】

平維盛 平家物語

アニメ「平家物語」、第6話後半では、富士川の戦いの場面が、描かれました。

びわが吟じたのは、平家の兵たちが源氏の軍勢を前に、怖気づき敗走する場面でした。対比される、東軍と西軍。今後の源平合戦の、吉凶を占うような場面が描かれたのです。

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維盛、追討軍の大将軍となる

朝敵の追討軍の大将に抜擢されることは、当然栄誉なことでした。平維盛は、平重盛の子。当然、武勇にも優れた父の跡継ぎとして、注目もされ重圧の中にあったでしょう。

戦の経験に乏しいながら、坂東に入り戦おう、という維盛。しかし、侍大将の忠清はどうやら維盛を説き伏せてしまいます。

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巻第五、「富士川」より

巻第五 富士川 1

巻第五 富士川 2

訳文

さて追討に向う人々は、都を出発して、はるか東国へと赴かれた。無事に帰還されることもまことに危ぶまれる有様で、あるときは露ふかい原に野宿し、あるときは高い山の苔に旅寝して、山を越え、いくつもの川を渡り、日数を重ねて、十月十六日には駿河国清見が関に到着された。都を出たときは三万余騎であったが、途中の国々で兵を徴集し、七万余騎の軍勢となっていたということである。先陣は蒲原・富士川に進出し、後陣はなお手越・宇津の屋にひかえていた。
大将軍権亮少将維盛は、侍大将上総守忠清を呼んで、
「ただ維盛の考えでは、足柄を超えて、坂東で戦おうと思う」
と勇みたたれたが、上総守が申すには、
「福原を出発なさったとき、入道殿の御ことばには、戦いのことは忠清にお任せなさいと言われたことです。八ヶ国の兵どもはみな兵衛佐に従いついておりますから、何十万騎かあるでしょう。味方の軍勢は、七万騎とは申しますが、国々からかり集めてきた武者どもです。しかも、馬も人も長途の旅にすっかり疲れさせています。伊豆・駿河の味方に参るべき軍勢さえ、まだみえておりません。ただ富士川を前にして、味方の軍勢が到着するのをお待ちになるのがよいでしょう」
と申したので、やむをえずとどまった。
さて一方、兵衛佐は、足柄の山を越えて、駿河国黄瀬川にお着きになった。そこへ甲斐・信濃の源氏どもが馳せ参じて、合流した。浮島が原で勢ぞろいが行われ、二十万騎と記された。
忠清の言うことも、理はあったのですが、どうやら、維盛はお飾りのように扱われていました。
そして、そんな、のんびりと主導権争いをしている西側の首脳陣を、斎藤別当実盛という人物が奮い立たせようと、語ります。
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奮い立たせるための言葉も、逆効果

巻第五、「富士川」より

巻第五 富士川 3
巻第五 富士川 4

訳文
また、大将軍権亮少将維盛は、東国の事情に詳しい者として、長井の斎藤別当実盛を呼んで、
「さて実盛、お前ぐらいの強い弓を引くすぐれた武士は、坂東八ヶ国にどれほどいるか」
と尋ねられると、斎藤別当は高笑いして、
「それではあなたはこの実盛を大矢を射る者とお思いですか。私はわずか十三束(普通の矢の長さは十二束)を引くだけのことです。実盛程度に射る者は、八ヶ国にいくらでも居ります。大矢を射るといわれるほどの者で、十五束に及ばない矢を引く者は居りません。弓の強さも屈強の者が五、六人で張ります。このような精鋭の兵どもが射ますと、鎧を二、三領重ねてもわけもなく射通してしまいます。
大名一人と申しますと、勢の少ないものでも五百騎以下ということはありません。馬に乗れば、落ちることを知らず、件組なところを走らせても馬を倒しません。戦いに臨めば、親が討たれようが子が討たれようが、戦死するものがあれば、その屍を乗りこえ戦っていきます。

西国の戦いと申しますと、親が討たれれば仏治事供養を営み、忌があけてから攻め寄せ、子が討たれれば歎き悲しんで、戦いません。兵粮米が尽きてしまうと、春に田をつくり、秋に収穫をしてから攻め、夏は暑い、冬は寒いといって戦いを嫌います。東国にはまったくそのようなことはありません。
甲斐・信濃の源氏どもは、土地の事情はよく知っております。富士の裾野からわれわれの背後にまわることもありましょう。このように申しましても、あなたをおじけさせ申しあげようとして申しているのではありません。戦いは軍勢の多少によって決するものでなく、戦略によるものだと申し伝えております。実盛は今度の戦いに、生きてふたたび都に帰ろうとは思っておりません」
と申したので、平家の兵どもはこれを聞いて、みなふるえおののいたのであった。

どうやら、奮い立たせよう、という実盛の思いとは裏腹に、平家軍の者たちは、すっかり怯えてしまったようです。

 

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怯えた者たちには水鳥の羽音さえ

巻第五、「富士川」より

巻第五 富士川 5

巻第五 富士川 6

訳文

さて、こうして十月二十三日になった。明日は源平両軍が富士川で矢合せをすると定められたが、夜になって平家の方から、源氏の陣を見わたすと、伊豆・駿河の人民百姓らが戦禍を恐れて、ある者は野へ逃げ山に隠れ、ある者は舟に乗り、海や川に浮かんで、物を煮たり焼いたりする炊事の火が見えたのを、平家の兵どもは、
「なんと、おびただしい源氏の陣の遠火の多さだ。まことに、野も山も、海も川も、みな敵軍でみちあふれているようだ。なんとしたことであろう」
とあわてふためいた。
その夜の夜半ごろ、富士の沼に無数に群がっていた水鳥が、なにに驚いたのか、一度にばっと飛び立ったが、その羽音が、大風か雷などのように聞こえたので、平家の兵どもは、
「それっ。源氏の大軍が攻め寄せてきたぞ。斎藤別当が申したように、きっと搦手にも回ることであろう。取り囲まれてはどうにもなるまい。ここを退いて、尾張川洲俣を防ごう」
と、とる物もとりあえず、我さきにと逃走した。あまりにあわてさわいで、弓を持つ者は矢を忘れ、矢をとる者は弓を忘れた。人の馬に自分が乗り、自分の馬は他人に乗られ、あるいはつないだ馬に乗って駆けだして、杭の周りをはてもなくめぐる者もある。近くの宿場宿場から呼び集めて遊んだ遊女たちは、ある者は頭を蹴割られ、あるいは腰を踏み折られて、わめき叫ぶ者が多かった。
翌二十四日の午前六時ごろ、源氏の大軍二十万騎は、富士川の岸辺に押し寄せて、天に響き大地もゆさぶるほどに、三度、鬨の声をあげた。

戦う前に、すでに怖気づいていた平家の軍兵。彼らの目には、戦火を恐れて避難していた住民の炊事の火まで、敵陣のかがり火に見え、水鳥の羽音は、敵軍の奇襲の音と聞えたのです。

この狼狽ぶりが、果たして史実を踏まえたものなのかは疑問です。しかし、頼朝の軍勢がここまでに膨れ上がっていることは、想定外だったでしょう。
加えて、実戦経験に乏しい維盛とそれを支えるはずの上総守忠清との間にも意見の相違があったようです。戦いの前に、離れてしまう兵も多かったよう。平家物語には7万騎と書かれた軍勢も、『玉葉』には4千騎と記され、さらに投降する者が相次ぎ、戦いの直前には1、2千騎まで減っていたようです。
これでは、水鳥が飛ばなくとも、逃げるしかなかったでしょうね。

重盛に、とりわけ優れた子である、と評価されていた維盛。人格や、立居振る舞いは礼節にかなった人物だったのでしょう。しかし、戦いの面では、才は発揮されませんでした。武士の家に生まれるには、優しすぎたのかもしれませんね。

今回はここまで。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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