【平家物語】敦盛の最期【アニメ9話 びわが吟じた原文】

椿  平家物語

アニメ「平家物語」第9話の終盤、若く美しい笛の名手、敦盛の最期が描かれました。戦に出て、心を病んでしまった維盛、戦況と自分たちの運命を悲観し、身投げした清経。優しすぎた彼らの事も、身近に見ていたであろう敦盛。それでも彼は勇敢な武士としての矜持を、最期まで持っていました。

彼が最期を迎えたのは、1184年2月、「一ノ谷の戦い」の時でした。

びわが吟じたのは、有名な「敦盛最期」の一節。原文をご紹介します。

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武士に生まれた矜持と悲劇

巻第九、「敦盛最期」より

巻第九 敦盛最期 1

巻第九 敦盛最期 2

訳文

 平家方は戦に敗れたので、熊谷次郎直実は、「平家の公達が助け船に乗ろうと、海辺のほうへ落ちていかれるであろう。ああ、よい大将軍にとり組みたいものだ」と思って、磯のほうへ馬を進めていくところへ、練貫に鶴の図柄を刺繍した直垂に、萌黄匂の鎧を着て、鍬形を打った甲の緒を締め、黄金作りの太刀を帯び、切斑の矢を負い、滋藤の弓を持って、連銭葦毛の馬に黄覆輪の鞍を置いて乗った武者が一騎、沖にいる船をめざして、海へざっと馬を乗り入れ、五、六段ほど泳がせて行った。熊谷が、
「そこにおられるは大将軍とお見受け申した。卑怯にも敵に後ろをお見せなさるか、おもどりなされ」
と扇をあげて招くと、招かれて引き返した。渚にうち上がろうとするところへ、馬をおし並べてむずと組み、どうと落ちて、とりおさえ首を斬ろうとして甲を押しあげてみると、年は十六、七ばかりの者で、薄化粧し、鉄漿(かね)で歯を染めている。わが子の小次郎ほどの歳で、容貌はまことに美しかったので、どこに刀を刺せようとも思われない。
「そもそもどういう人でいらっしゃるか、お名のりくだされ。お助け申そう」
と申すと、
「おまえはだれか」
とお尋ねになる。
「物の数に入るほどの者ではございませんが、武蔵国住人、熊谷次郎直実」
と名のり申した。
「それでは、おまえに対しては名のらぬぞ。おまえのためには良い敵だ、名のらずとも首をとって人に尋ねよ。見知っている者があるであろう」
と言われた。熊谷は「ああ、りっぱな大将軍だ。この人一人お討ち申したところで、負ける軍に勝つはずもない。またお討ち申さなくとも、勝つはずの軍に負けることはよもやあるまい。小次郎が軽傷を負ったのでさえ、直実は心苦しく思ったのに、この殿の父は討たれたと聞いて、どれほどか嘆かれることであろう。ああ、お助けしたいものだ」と思って、後ろをすばやく見ると、土肥・梶原の軍が五十騎ほどでつづいて現われた。

いったんは海へのがれようとした敦盛。しかし、「敵に後ろをみせるのか」と言われ、取って返しました。武士として、雄々しく、潔く戦おうとした彼の心情があらわれています。死に直面しているのに、16、7とは思えぬ、落ち着いた受け答えです。平家の人間であり、武士である、そのことが、敦盛の誇りでもあったのでしょう。

巻第九、「敦盛最期」より

巻第九 敦盛最期 3

巻第九 敦盛最期 4

訳文

 熊谷は、涙をおさえて申すには、
「お助け申したいとは存じますが、わが軍勢は雲霞のようにおります。けっしておのがれにはなれないでしょう。人手におかけするよりは、同じことなら直実の手にかけ申して、後の御供養をいたしましょう」
と申すと、
「ただすみやかに首を取れ」
と言われた。熊谷はあまりにかわいそうで、どこに刀を突き刺してよいかもわからず、目もくらみ、気も遠くなって、前後の区別もつかなかったが、そのままでいるわけにもいかないので、泣く泣く首を斬った。
「ああ、弓矢をとる身ほど情けないものはない。武芸の家に生まれなければ、どうしてこのようなつらい目をみることがあろう。情けなくもお討ち申したものよ」
とくどくどと嘆き、袖を顔におしあてて、さめざめと泣いていた。
しばらくして、こうしてもいられないので、鎧直垂をとって首を包もうとしたが、錦の袋に入れた笛を腰にさしておられた。
「ああ、いたわしい。この明け方、城の内で管絃をなさっておられたのは、この人々でいらっしゃったのだ。今、味方に東国の軍勢が何万騎かあるであろうが、戦陣に笛を持って来た人はよもやあるまい。身分の高い公達は、やはり優雅なことよ」
といって、九郎御曹司のお目にかけたところが、これを見る人で涙を流さない者はなかった。
後に聞くと、修理大夫経盛の子息で、大夫敦盛といい、生年十七になられる方であった。そのことから、熊谷の出家の志はいちだんと強くなったのである。
かの笛は祖父忠盛が笛の名手で、鳥羽院からいただいたものであるという。忠盛が伝えておられたのを、敦盛が才能があるということで所持されていたということである。その名を小枝(さえだ)と申した。狂言綺語も仏道に入る契機となるとはいいながら、この笛の一件が、熊谷の仏門に入る因となったのは、まことに感慨深いことである。

 

一方の、熊谷直実は、甲を取ってあらわれた、年若い相手の顔を見て、我が子を重ね手を止めます。助けたいと思う心情と、それを許さない状況に惑う様子は、人の親らしいものでした。東国武士は親が死んでも、子が死んでも、その屍を乗りこえ襲ってくる、そんな表現もされていた平家物語。しかし、やはり関東武士も、人の子であり、人の親でした。

しかし、敦盛の心は揺らいではいませんでした。熊谷は「ただすみやかに首をとれ」という敦盛に、圧倒されます。

熊谷直実が本当に戦場でこのような情緒になったかは、わかりません。しかし、後々、年若い者も殺さねばならない、武士の家に生まれる辛さに、思い至るということはあったかもしれません。彼が出家したという記録は複数の書物に書かれました。

敦盛が、凛々しい最期を遂げたこと、アニメ「平家物語」では「誓ったのだ、誓ったのだ、私は武士として、立派に…」という言葉を彼の最期としていましたね。
心が揺さぶられる、シーンです。

今回はここまで。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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