【平家物語】清経の最期【アニメ9話】

椿  平家物語

 

京から福原、そして九州の大宰府まで逃れていた平家。しかし、豊前国(現・福岡県東部)宇佐神宮の荘園であった緒方庄の荘官で、平重盛とと主従関係を結んでいた緒方三郎維義が、平家を攻める、という知らせが入りました。重盛の子・資盛が説得に向いますが、「昔はむかし、今は今」と拒絶されてしまいます。

平家一門は、大宰府を離れ、箱崎(福岡県福岡市、博多湾に面した地)を目指しました。『平家物語』原文で平家の足取りをたどってみます。

図はクリックで拡大できます。

平家、大宰府落

 

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平家、大宰府落ち

巻第八、「大宰府落」より

巻第八 大宰府落 1

巻第八 大宰府落 2

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訳文

平家は、緒方三郎維義が三万余騎の軍勢で今まさに攻め寄せてくると聞いたので、とるものもとりあえず大宰府から退去される。あれほど御加護を頼みとしていた天満天神の神前を心細くもたち離れ、御輿をかつぐものもなく、葱花輦・鳳輦もいまは名に聞くばかりで、天皇は腰輿にお乗りになった。
御母建礼門院をはじめ、高貴な女房たちは、袴の裾をつまみあげてももだちにはさみ、大臣殿以下の公卿、殿上人は指貫のももだちをはさんで、水城の戸を出、徒歩でわれさきにと急ぎ箱崎の津へと落ちて行かれる。
折しも、雨は車軸を流すように降り、吹く風は砂をまきあげる激しさで、落ちる涙と、降る雨の区別もできないありさまであった。住吉、箱崎、香椎、宗像と社々を伏し拝み、ただ天皇が旧都へお帰りになれるようにとばかり祈られた。垂水山・鶉浜などという、けわしくそびえる難所をかろうじて越え、かぎりなく広い砂浜に向って行かれる。まったく不慣れな歩行なので、御足から出る血は砂を染め、紅の袴はさらに色を濃くし、白い袴の裾は紅になってしまった。
かの玄奘三蔵が流沙や葱嶺を困難に耐えて越えて行かれたという苦しみも、これにまさることがあろうか。しかしそれは仏法を求めるためであるから、自他の利益もあったであろう。これは敵に攻めたてられてのことであるから、さらに後世でうけるであろう苦しみを思うにつけても、悲しいことである。
駕輿丁 かようちょう。天皇や貴人の輿をかつぐ召使の下男
葱花 葱花輦そうかれん。屋形の上に金色の「葱花」(ネギの花の形をした飾り)をつけた、天皇の乗る輿。平常の行幸に使われた。
鳳輦 ほうれん。屋形の上に金の鳳凰の飾りをつけた天皇専用の輿。儀式の行幸に使われた。
流沙 りゅうさ。中国の西域、タクラマカン砂漠
葱嶺 そうれい。中央アジアのパミール高原

アニメ「平家物語」第9話では、徳子は徒歩で、高倉天皇を背負い、箱崎を目指していました。原文でも、この大宰府落ちのとき建礼門院徳子が、他の女房たちと同様徒歩であったと記されています。(高倉天皇は簡素な輿に乗っていたと、表現されています。)当時の上流階級の女性は、屋敷の中でさえ、余り歩くことをしていませんでした。相当過酷な道のりであったことは確かでしょう。

袴に滲む血の表現が、哀れです。

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清経、最期

豊前国柳が浦は、九州北西部、瀬戸内海に面した地域です。この柳が浦が、重盛の子で維盛や資盛の弟、平清経の最期の地となりました。

巻第八、「大宰府落」より

巻第八 大宰府落 3

巻第八 大宰府落 4

訳文
 芦屋の津という所を通って行かれるにつけても、これは我々が都から福原へ通ったときの里の名と同じであるからと、どこの里よりも懐かしく思われ、ことさら哀れを感じられるのであった。新羅・百済・高麗・荊旦、雲の果て、海の果てまでも落ちて行こうと思われたけれども、激しい波風にさまたげられてそれもかなわず、兵藤次秀遠にともなわれて、山鹿の城にたてこもられた。
山鹿にも敵が攻め寄せてくると伝えられたので、多くの小舟に分乗し、夜どおし漕ぎ進んで豊前国柳が浦にお渡りになる。ここに皇居をつくるべきことが評定されたが、それだけの広さもなかったので造られない。また長門から源氏が攻め寄せると伝えられたので、漁夫の小舟に乗って、海上に漕ぎ出られた。
小松殿の三男、左中将清経はもともと何事につけても思いつめる気性の人であったので、
「都を源氏のために攻め落され、九州は維義のために追い出される。網にかかった魚のようだ。どこへ行けば逃れることができようか、できはしない。無事に生きおおせる身でもないのだ」
といって、月の冴えた夜、雑念を払って心静かに、舟の屋形に立ち出でて、横笛で音取りをして朗詠をなさったが、静かに経を読み念仏を唱えて、海に身を投げられた。男も女も泣き悲しんだが、なんのかいもないことであった。

この後、知盛の領国であった長門国(現在の山口県の辺り)の目代から、大船百艘の献上をうけ、四国に渡った平家。讃岐の八島(屋島)に、形ばかりの板屋の内裏や御所を造らせます。
九州から、四国へと逃れてきた、平家。公卿、殿上人と呼ばれた平家の者たちは、漁夫の家などで寝起きし、白鷺の群れをみては源氏の旗かと疑い、野雁の声には敵の来襲かと怯え、心身をすり減らす様子が描かれます。

しかしここから、平家は西国の味方を得ることになります。なんとか、木曾義仲との「水島の戦い」(1183年閏10月1日)や源行家との「室戸の戦い」(1183年11月28、29日)に勝つまでに勢力を戻します。『玉葉』同年閏10月20日条に
「平氏の党類、九国を出で四国に向ふの間は甚だワイ弱、而して今度官軍敗績の間、平氏其の衆を得て勢太だ強盛、今に於いてはタヤスく進伐し得るべからずと云々」(カタカナは難漢字を簡略して表記)
ともあるように、西国の者たちが平家方に味方し、勢力を盛り返したのです。

宋との交易をし、しばしば海賊の平定もしていた平家にとって、瀬戸内海は勝手知ったる海。水軍指揮は得意分野だったのでしょう。「水島の戦い」は、平知盛が率い、能登守教経が指示し、船を組みあわせて攻めたてるなど、見事な海戦を行ったのです。しかしその勝利は、蝋燭が消える間際に一瞬強く燃え上がるような、儚いものでした。

 

こうして、『平家物語』の終盤を彩る、一ノ谷の戦い、壇ノ浦の戦いへと突入してゆくのです。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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