【鎌倉殿の13人】頼朝を試した男?!その基準は”運の強さ”【上総介広常】

上総広常 「鎌倉殿の13人」登場人物を読み解く

大河「鎌倉殿の13人」第7話、ついに佐藤浩市さん演じる、上総広常が登場しました。三谷幸喜さんの作品では、『ザ・マジックアワー』での面白すぎる演出でおなじみですね。三谷さんの手にかかり、今回も一癖も二癖もある、上総広常となりそうです。

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上総介広常

上総広常は千葉県中部、上総の有力豪族。『吾妻鏡』では、二心ある者、とされました。

『吾妻鏡』9月19日の条には

「上総権介広常は、上総国の周東・周西・伊南・伊北・庁南・庁北の者たちを率いて軍勢二万騎で〉隅田河の辺りに参上した。武衛(頼朝)は、広常の遅参に非常に腹を立て、全く許す様子が無かった。広常が密かに思うには、現在では日本国中すべて平相国禅閤(清盛)の支配下にある。ここに頼朝は、さしたる用意もなく、流人の身で義兵を挙げられたので、その形勢に高みに上る相がなければ、すぐに頼朝を打ち取り平家に差し出そうということで、内心は離反の思いを抱きながら、外面は帰伏したように参上したのである。そこで、数万の合力を得て、さぞや喜ばれるであろうと思っていたところが、遅参を咎められた。まったく人の主となるに相応しい様子をみて、(広常は)たちまち殺害しようとしていた心を改め、進んで従ったという。」(意訳)

と、書かれています。

確かに、「頼朝は、さしたる用意もなく、流人の身で義兵を挙げられたので」本当に頼朝に賭けて大丈夫か。という懸念は、当時関東の有力武士たち皆が、抱いたでしょう。一番リスクを感じるべき点です。

兵力でいえば、当時の頼朝より、上総広常は上でした。もし、『吾妻鏡』が描写するような行動を実際に上総広常がとっていたとしても、それほど驚きはありませんね。

しかし、この描写、頼朝に対する懐疑や、不意打ちで打ち取る心づもりなどは、あえて書くということに作為があるようです。上総広常が後に鎌倉幕府内で粛清をされているため、最初から二心があったように記されたのでしょう。彼を粛清したことの正当性を強調しているのです。

実際の上総広常は、平家の有力家人・伊藤忠清が上総介(朝廷が決める国司)に任命されたことで、国務をめぐり忠清と対立、平清盛に勘当されています。頼朝の糾合に対し遅延したのは、上総国内の制圧に手間取っていたため、というのが本当のところでしょう。もし、頼朝に賭けるかどうか迷う思いがあったとしても、妥当ではありますが。

千葉常胤より時間がかかりましたが、結果的に上総広常は頼朝の味方となります。広常の軍勢は2万騎とされ、頼朝軍最大となったのです。石橋山の戦いで兵は300騎しかおらず死にかけた頼朝、奇跡的な躍進ですね。

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大河での上総介広常(第7話)

「鎌倉殿の13人」第7話では、上総広常のもとに、頼朝からも、平家方の大庭景親からも味方するよう使者が来ます。使者は頼朝方が、義時と和田義盛。大庭方が梶原景時。
味方となると、どのような利益があるのかと問う広常に、梶原景時は「望む官位を」と言いました。平家方の強みは、現在日本の統治者である、という点ですから官位も思うままでしょう。
それに対し義時は、平家に対し反旗を翻すときであること、何度も命拾いする頼朝には”運の強さ”があること、これを材料に正面から説得します。運の強さって、と思うのは我々現代人のの価値観。当時、この運の強さが、人を説得する重要な要素でした。運の強さは、つまり神仏に守られている、ということを意味したのです。
そこで広常は、頼朝の運を試すことにしましたね。その晩大庭から差し向けられる刺客・長狭常伴から逃れられれば、強運の持ち主と認めると。

ドラマでは、頼朝が亀といたところを亀の夫により襲撃され、刺客の襲撃がちょうどそのタイミングであったことで難を逃れた、と面白く脚色されていました。

かくして、上総介広常は強運の持ち主、頼朝に味方することになるのです。

さらに、ドラマではこの頼朝の強運が、梶原景時が頼朝に味方した要因、としました。梶原景時もまた、石橋山の戦いで敗走中、大庭勢が誰一人、目と鼻の先にいる頼朝に気づかないことに驚き、天に守られていると感じた、と。

ドラマで義時が行った説得も、上総広常が提案した運試しも創作ではありますが、その思想はこの当時の価値観をよくあらわしています。自分の大将を決める、その決め手が肉体の強靭さでもなく、知恵でもなく、”運の強さ”であったとすると、本当におもしろいですね。

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夢のお告げは真実、強運は神仏の加護

この時代、夢というものは真実をみる、あるいは未来をみる、と解釈されていました。

後白河法皇に夢で挙兵をせかされた頼朝、その後も何度も後白河法皇の夢をみる描写は、もはや呪いのコントのよう。

しかし夢で真実を知ったり、夢が未来を告げたので予見ができた、という描写は『吾妻鏡』だけでなく『平家物語』などにもみられます。平清盛の嫡男・平重盛は『平家物語』巻第三、無文の章で運命を予知する能力をもった不思議な人、とされ、彼は夢でその未来をみた、とします。平安時代末期において夢は、未来の事実の前兆として、信憑性をもって機能していました。

そして、運の強さも人々を納得させる能力の一つ、でした。

例えば『平家物語』巻第三、大塔建立にあるように、平清盛の出世は高野山の大塔の修理・厳島の修理などによって、神の加護が得られたから。しかし子孫の衰退はその後の清盛の悪行の超過による、とされました。

頼朝の強運も、また、神仏の加護によるという解釈がされ、当時の豪族が味方する根拠のひとつに成り得たのです。

ですので、上総広常が頼朝の”運の強さ”を試したとしても、それは酔興などではなかったのです。

現代の私たちも、受験や大事な人生の転機には神仏に祈って、運を味方にしたいと願いますよね。準備をしていても、やはり運も大切。それが平安時代末期、大事な戦の前ならば、神や仏の加護に重きを置くのも納得できます。

それにしても、頼朝の”運の強さ”、筋金入りです。準備不足が明らかだった、挙兵。しかし、頼朝はしぶとく命運をつないでいきます。平氏の横暴に抗う気運だけでは、説明がつかない程だと、感じてしまいませんか?

今回は、ここまで。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

上総介広常との交渉中、義時、頼朝を”お飾り”と認めてしまってました。彼が目指したのは、坂東の坂東による…という、記事↓↓↓

【鎌倉殿の13人】北条義時・三浦義村、盟友二人が目指したもの

 

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