【鎌倉殿の13人】義理堅さが仇に。佐々木四兄弟が参上できたのは…【大庭景親】

大庭景親 佐々木秀義 「鎌倉殿の13人」登場人物を読み解く

今回ご紹介するのは、大庭景親。実は彼、山木館襲撃の前に、佐々木四兄弟が頼朝のもとへ参上する、そのきっかけをつくってしまったようなのです。結果として、頼朝の挙兵をアシストしてしまったとも言える、大庭景親。どのような人物だったのでしょう。

ドラマでは、八重の一件で頼朝の居所が変わる際、一触即発となった伊東祐親と北条時政。彼らを仲裁し、大物の風格で登場した大庭景親。伊東祐親や北条時政とは旧知の仲だったことは、史実でもあるでしょう。もちろん、平家方の大豪族なので、彼らとは一線を画す力の差はあったと思われます。

 

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関東武者は旧知の友?

古くからの関東武者

大庭景親は平家方の大豪族。相模国大庭御厨(神奈川県寒川町、茅ケ崎市、藤沢市)の下司職を相伝していました。都から、土地の支配は賜っていますが、先祖代々、この地に縁があった豪族だったのですね。北条時政や伊東祐親、三浦義澄らとも、親交はあったでしょう。

関東のまとめ役、といった立場でしょうか。北条氏や三浦氏、伊東氏よりさらに大きな勢力でした。

名乗りを上げる様は、まるで子どもの喧嘩のよう

大河ドラマでは、石橋山の戦いでの名乗合いでは、演者の國村隼さんがおっしゃるように、昔から知っている者どうしの、子どもの喧嘩のようなやりとりが演じられていました。

大庭「かまきりが、両手をあげて、牛車に立ち向かうようなものだ」

時政「うるせい!(頼朝の名乗りをする)」

大庭「こちら3000騎あまり。かたやそちらの、なあんと少ないことよ」

時政「この裏切り者めが」「(源氏方であったのに、裏切ったと糾弾)なにゆえ平家に媚びへつらう!」

大庭「先の戦で源氏が朝敵に成り下がった時に、わが命を救ってくれたのは平家である。その恩は海よりも深く、山よりも高い。真の勇者はへつらって見えることもあるものじゃ!」

時政「一時の恩に浸って、先祖代々の主を捨てるとは、なさけなや、なさけなや。(略)」

大庭「もはやそなたにかける言葉などないわ」

時政「それはこちらの言うことじゃ。それ、かかれえ!!!」

本当は、挑発して山の中まで引きずりこみたかった相手に、逆に挑発されて平地で戦ってしまった時政。この描写はドラマのオリジナルでしょうが、実際よく顔を合わせていたであろう、相模・伊豆の武士たち。昔から知っているからこそ、感情が入ってしまい、結果挑発に乗ってしまうという、三谷さんの演出も面白かったですね。

『吾妻鏡』の描写を読むと、石橋山の戦いで開戦が早まってしまったのはむしろ、酒匂川の向こうで大庭景親の屋敷を焼いた、三浦勢のせいだったでしょう。

三浦氏にとっては、目の上のたんこぶ

いくら旧知の人物とはいえ、平家方。

三浦半島の辺りの領地を治めた三浦氏にとって、やはり、相模の大勢力の大庭氏は目の上のたんこぶのような存在だったかもしれません。

三浦義明(義村の祖父)の娘は頼朝の父・義朝の子義平(頼朝にとって異母兄)を産んでいます。『吾妻鏡』には三浦義明が「源家累代の家人として頼朝の挙兵を喜んでいる」という描写もあり、三浦氏は故源義朝と近しかったとされます。そのことが原因となり、領地をめぐって、あるいは税をめぐって、圧迫を受けていたと考えるのが自然でしょう。

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戦況における、大庭景親の動き

石橋山の戦いから、富士川の戦いに至るまでの大庭景親の動きを簡単にあげてみます。

大庭景親は、1180年8月24日~25日、石橋山の戦いで、3000の兵を率いて頼朝の前に立ちふさがりました。戦い自体は大勝利に終わるのですが、頼朝を取り逃してしまいます。

8月27日、三浦の地を、大庭景親が数千騎を引き連れて攻めましたが、畠山重忠・川越重頼・江戸重長らに三浦義明は打ち取られており、義澄らもすでにいませんでした。三浦勢の大半をやはり、取り逃がしてしまったのです。

8月28日、大庭景親の飛脚が発ち、9月2日入洛。石橋合戦のことを福原に報じました。『吾妻鏡』だけでなく『平家物語』や『玉葉』にもこのことが書かれています。平清盛の怒りはすさまじかったでしょう。

10月18日、富士川の戦いに1000騎を率いて向かうが、すでに大勢力となっていた頼朝軍に先を越され、平家方に合流できず山中に逃亡したと『吾妻鏡』に記されています。

畠山重忠、梶原景時のように、頼朝方に乗り換える豪族も多数いたなかで、結局平家方を通し、捕らえられ首を斬られました。

ちなみに、梶原景時は大庭景親の親族でしたし、大庭景親の兄弟でも、頼朝に早くから就き従い、重用された大庭景義という人物もいます。それでも、景親は、ゆらがなかったのですね。

勝ち馬に乗る、というような器用な質ではなかったようです。

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佐々木四兄弟が参上できたのは景親のおかげ

その大庭景親の義理堅さが頼朝を助けてしまったエピソードを、紹介します。このエピソードも『吾妻鏡』に書かれているもの。

大庭景親は1180年8月2日、以仁王の起こした合戦のための在京から、相模の領地へ帰国しました。

そして8月9日、佐々木秀義を招きました。ドラマでは、年を取って、歯が抜け滑舌がすこぶる悪い、かわいらしいおじいさんとして、登場しましたね。彼は佐々木四兄弟の父です。

佐々木秀義

佐々木四兄弟の父・佐々木秀義は、源為義(頼朝の祖父)の養子であった人物です。頼朝の父・義朝に従い、保元の乱・平治の乱にも加わりました。保元の乱の後、近江国(滋賀県)にあった佐々木庄を取り上げられたため、子らと共に母方の縁者である藤原秀衡を頼って行く途中、渋谷重国のもとに身を寄せました。『吾妻鏡』では、頼朝が配流された後も、平家の権勢におもねらなかったために、祖先からの相伝の土地である佐々木庄を取り上げられた、とし、その勇敢な行動に感心した相模国の渋谷重国が彼らを留め置いた、としています。佐々木秀義と四人の子らは、相模に住んで20年となっており、その間に長男・定綱と三男・盛綱は頼朝に仕えるようになったのです。

源氏への忠誠を隠さなかったために近江の領地を取り上げられていた佐々木秀義。

相模国の平家方の豪族である渋谷重国は、彼の心意気に感心し、佐々木秀義と息子たちを領内に住まわせました。さらに大庭景親も佐々木秀義と信頼関係を築いていたようなのです。

『吾妻鏡』承久4年8月9日の条に、大庭景親が、北条と頼朝の叛逆の可能性を知ったことを、佐々木秀義に密かに伝えた、という意味のことが記されています。

「(略)私はこの話を聞いてから以降、心中穏やかではなくなった。あなたとの年来の約束があるからだ。そこで今またこのことをあなたに密かに伝えるのだ。御子息の佐々木太郎(定綱)は頼朝の味方に参じているようだから、当然用意をしておくべきであろう」(吉川弘文館 「現代語訳 吾妻鏡」 参照)

『吾妻鏡』の通りだとすると、この発言の意図は、とても分かり辛いのです。果たして、大庭はどういうつもりで「用意をしておくべき」と伝えたのか。佐々木老人が、何とか逃げられるよう忠告したかったのかもしれません、しかし彼が源氏に忠することは分かっていたようにも思えます。

この場面での大庭景親の真意が、謎なのです。皆さまは、どう思いますか?

ともかくこれを受け、佐々木秀義は嫡男定綱を、頼朝の元へ向かわせて真偽を確かめ、四兄弟を戦のため向かわせました。17日の山木館襲撃に、佐々木四兄弟が参加できた背景には、大庭景親のこの行動があった、と『吾妻鏡』からは読み取れるのです。

前回の記事に書いた通り石橋山の戦いで、頼朝方を大いに苦しめ、追い詰めた大庭景時。しかし、目と鼻の先に隠れているはずの頼朝を、捕らえることができませんでした。

さらに『吾妻鏡』によると、山木館襲撃と石橋山の戦い(8月23日~24日)の後、26日、大庭景親は渋谷を訪ね、佐々木四兄弟を誅しようとするも、源家への忠義だと説得され、結局罰していません。

『吾妻鏡』治承4年8月26日条

「佐々木定綱兄弟四人は、頼朝に味方して平家に弓を引いた。その罪を許すことはできない。そこで彼らの身を探し出す間、妻子らを囚人と為すべきだ」重国はこう答えた。「彼らとは以前からの約束があったため助けてきました。しかし今、彼らが旧好を重んじて源氏のもとに参上するのを制止する理由はありません。私、重国は、あなたの催促に応じて、外孫の佐々木義清を連れて石橋山に向かったのに、その功を考えずに定綱以下の妻子をとらえよという命令を受けるのは、本懐ではありません。」

景親は道理に屈して帰ったと、記されています。

何とも、不可思議な一連の行動。

これは、私の個人的な見解に過ぎませんが、大庭景親は佐々木秀義と四兄弟が、源氏の一大事にあって忠義を尽くせなかったら、それが生涯の悔いとなるだろうと考えたのかもしれません。忠義を尽くす、その相手が誰であろうと、その志に深く共感し、惚れ込んでいたのかもしれません。もちろん、自身の勢力がこの謀反を抑えられるという確信があっての上で、そのような行動をとっていたと、解釈できるのではないでしょうか。

少し飛躍しすぎでしょうか。

さて、もし、大庭景親と佐々木秀義・佐々木四兄弟をめぐるエピソードが『吾妻鏡』の通りであったとするなら、とんでもない頼朝へのアシストをしてしまった、大庭景親。しかし、裏切ることを知らない佐々木秀義らの姿をみることは、不快ではなかったのかもしれません。敵ながらあっぱれな、人物と見えてきませんか?

今回はここまで。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

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