行ってまいりましたので、10月13日の京都、紅葉の様子、お届けします。
南禅寺
南禅寺。臨済宗南禅寺派の大本山、山号は瑞龍山(ずいりゅうざん)。開山は無関普門(むかんふもん)。元は離宮で、後、足利義満によって五山の上とされ、隆盛しました。
訪れる際、山科駅から、京都市営東西線で二駅、蹴上駅を目指すと、行きやすいです。蹴上駅からは、徒歩5分。
上写真は南禅寺法堂。内部天井には龍神が描かれています。
大方丈は1611年、御所の建物が下賜・移築されたもの。小方丈と共に、国宝です。勅使門も1596年~1615年造営の内裏の日御門が1641年下賜・移築されたもの、重要文化財。
三門も同じく重要文化財で、1628年藤堂高虎の寄進により再建されました。楼上からは京都市街を一望でき、歌舞伎「楼門五三桐」(さんもんごさんのきり)における石川五右衛門の「絶景かな絶景かな」で知られます。
紅葉の葉が色づき始めています。時代を超えてこの三門からの景色を眺めた人々がいたことを思うと感慨深いですね。
方丈庭園は国の名勝。
塔頭として、「南禅院」「天授院」「金地院」があります。境内に琵琶湖疎水の水路閣があることでも有名です。
「南禅院」
南禅寺の別院。禅林寺殿上宮の跡で、庭園は亀山上皇が離宮を営んだ時期の作庭であり、鎌倉時代末の池泉廻遊式庭園。周囲を深い樹林で包まれています。足利義持が北山殿の寝殿を移築した際、池や敷地を縮小。牡丹を植え、吉野の桜などを移植したが、応仁の乱で焼失・荒廃。
1703年徳川綱吉の母桂昌院が再興しました。庭園は心字池が特色で、国の史跡および名勝。
南禅院は水路閣をくぐった先にあります。
「天授庵」
1337年、南禅寺の開山塔として建立されました。1447年、南禅寺大火で類焼、応仁の兵火に見舞われ荒廃。後に細川幽斎の寄進により、1602年、本堂・正門・旧書院を始め諸堂が建てられました。
天授院入り口は三門のすぐ横にあります。天授院の庭園は本堂前庭(東庭)と書院南庭とに分かれます。
東庭
枯山水。正門より本堂へ至る石畳は1338年の創建当初のもの。
書院南庭
庭園の設計(地割)には、鎌倉時代末期から南北朝時代の特色がみられます。
書院側から長大な出島を作り、向かい側からやや小さい出島を配し、これらを巴形に組み合わせることによって東西の二池を区切っている、大小の出島を作り汀(みぎわ・みずぎわ)の線に多くの変化を見せている、東庭を西庭より小さくし、なだらかな斜面の堤を設ける、などがその特徴。
池に紅葉。映っている葉は緑、落ちて浮いているのは紅い葉。
琵琶湖疎水 水路閣
琵琶湖の水を水車動力や物資運搬・灌漑用水など多目的に活用するため、大津三保ヶ崎から京都蹴上まで水路が開削されました。(1885年~1890年)責任者は田邊朔朗。竣工式は明治天皇を迎え盛大に行われています。疎水を延長し伏見まで鴨川運河が開削されたのは1894年。
南禅寺境内には「水路閣」があります。これは琵琶湖疎水の支流で、京都北部地域の灌漑用水に利用するため引かれた水路の一部。明治21年(1888年)、ローマ帝国の水道を参考に建築されたそうです。設計は田邊朔朗。半円アーチ式煉瓦造り。全長約93メートル、高さ13メートル、幅約4メートル。工事中は京都市民の関心が高く、南禅寺三門に登り見物する人で賑わったといいます。
疎水関連施設は、平成8年国指定史跡となりました。
いかがでしたか?少しずつ、秋の気配が漂い始めた京都。紅葉狩りに、ぜひいらしてくださいね。
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