下鴨神社とは 基本情報
世界遺産
正式には「賀茂御祖神社」(かもみおやじんじゃ)といいます。上賀茂神社を上社、当社を下社とし、賀茂社と総称されます。
祭神は賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)、玉依媛命(たまよりひめのみこと)
社叢は糺の森(ただすのもり)と呼ばれ、古代の祭祀の遺構も発見されました。祈りの場としての歴史はとても古いようです。
境内には摂社の「河合神社」「三井神社」「出雲井於神社」末社の「言社」「印埜社」などが建ち、境外摂社として、御蔭神社があります。
東本殿、西本殿は1863年の建築。三間社の流造で国宝。境内の社殿は、1629年の再興で、多くが重要文化財です。
御手洗池 祭事にはお清めがここで行われます。
大炊殿 お供えのものをこしらえる場。中にも入って見ることができます。神事に使う様々なお道具が、展示してあります。
河合神社では玉依姫さまに美人の御祈願を。
糺の森。のどかで、居心地のよい神様の森。
葵祭(賀茂祭)
下鴨神社、上賀茂神社といえば、一番有名なのが「葵祭」でしょう。
葵祭は5月15日に行われる、上賀茂神社と下鴨神社の例祭です。
欽明天皇(第29代、509年~571年)の代に、4月吉日に、葵を飾り馬に鈴を付けて走らせ、五穀豊穣を祈ったことが始まりとされます。
『源氏物語』『枕草子』『今昔物語集』『徒然草』などに、葵祭の記述が出てきます。
昭和31年から、鎌倉時代初期から途絶えていた、斎王の女人列を斎王代という形で、復活させました。
「路頭の儀」では近衛使(勅使代)をはじめ検非違使、内蔵使、山城使、牛車、風流傘、斎王代など総勢500人の行列が京都御所から下鴨神社、上賀茂神社へと都大路を平安絵巻さながらに約8Km練り歩きます。
斎王とは、伊勢神宮または賀茂神社に巫女として奉仕した未婚の内親王または女王(親王の王女)のこと。斎王代は、その代理を務める、という役目ですね。
なお斎王代は一般公募あるいはオーディション等で選ばれていない。数千万円と言われる費用を負担できることが条件となっているため、京都ゆかりの寺社・文化人・実業家などの令嬢(主に20代)が推薦等で選ばれている。
『源氏物語』では光源氏が、近衛使(勅使)を務める記述があります。そういえば光源氏は皇族でした。
※この、斎王代について、私が興味を持ったのは『寺町三条のホームズ』で、登場してからでした。斎王代に選ばれるということ、を別の角度で感じることが出来、面白かったですよ。恋愛ミステリーですが、色々知識も増やせます。
中秋の名月 名月管絃祭
昭和38年から一般に公開された管絃祭は、平安時代以来の伝統を持っている。ススキの穂を飾り、かがり火がたかれた舞台では、壮重な雅楽にのって舞楽が演じられる。 祭典は午後5時半から橋殿で行われる。神事の後、古式ゆかしい舞楽や十二単(ひとえ)の平安貴族舞などが2時間にわたって奉納される。斎庭に設けられた観月茶席で名月を楽しむ。
葵祭が有名な下鴨神社ですが、折々の祭事も見逃せません。これを書いている2020年10月1日は名月管絃祭当日です。天気の予報も晴れ、月がきれいに見えるとよいですね。古からの祭事、ぜひ、体験したいものです。
下鴨神社ホームページ
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