【鎌倉殿の13人】源平最後の戦、壇ノ浦の戦い【経過図・戦況】

壇ノ浦の戦い 1 「鎌倉殿の13人」登場人物を読み解く

源平の最後の大戦は、壇ノ浦の海上で行われました。

戦の前に、「屋島の戦い」の時のように、またも義経と梶原景時の対立があった事は有名です。

戦の先陣を所望した景時に、義経は自分こそ先陣を務めると言い、景時はそれは大将軍のすることではないと、至極まっとうな反論をしています。何とか、土肥実平らに抑えられた両者。この諍いも、味方を出し抜いてでも、自分が一番の功績を得て勝ちたいという、義経の勝利への偏執的なこだわりが顕れています。

今回は、壇ノ浦の戦いの戦況を、時間の経過と潮流を踏まえて、みていきましょう。『平家物語』に描かれた、平家の人々の最期の姿にもふれます。泰然自若としている者。凛々しく散る者。哀れみをさそう者。かと思えば、最後まで決まらない者も。ご紹介します。

 

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未明から早朝

壇ノ浦の戦い 1

図は壇ノ浦の戦いの経過を表しています。赤は平家方、白は源氏方。

平家の軍勢は『平家物語』によると1000艘。源氏は3000艘。さらに源氏は陸から範頼軍も攻撃できる状態です。

3月24日、未明。海峡の潮の流れは、西から東。西にいる平家の船団に有利でした。

最後の戦と覚悟を決め、大音声で皆を鼓舞する平知盛。海上の戦は、平氏の得意とするものです。

潮目に流される形の源氏軍を、平家は船から、弓で射たてます。押されながらも、源氏軍も和田義盛、甲斐源氏の浅利与一らが弓で応じました。

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正午 変わる潮目と、寝返り

壇ノ浦の戦い 2

平家に有利であった潮目が、次第に変わり始めます。できれば、潮目の良い早朝のうちに勝ち抜けたかった平家軍。

さらに戦の最中、阿波重能という、平家によく仕えた武士が、寝返りました。義経に息子を生け捕られた(「屋島の戦い」の直後に、謀られた)ためだったようです。阿波重能は、唐船に敢えて兵士を乗せ、兵船に高貴な者を乗せるという平氏方の策も、源氏方に伝えてしまいました。

阿波重能に続き、九州・四国の者の源氏への寝返りが起こります。阿波重能の寝返りは、致命的でした。

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午後3時ごろ

壇ノ浦の戦い 3

 

 

この時間帯になると海流は、完全に源氏に味方します。東から西に潮目が変わったのです。源氏の軍勢は、平氏の船に乗り移ってきました。『平家物語』によると、船頭や水夫たちまで射殺されたとあります。『平家物語』では誰かの指示であったのか、流れ矢によるものだったのか、書かれていません。

しかし、勝つためには手段を選ばない、義経。

船の機動力を欠くために、敢て漕ぎ手を狙うことも、義経ならばやりそうです。

平家一門 それぞれの最期を飾る

さて、このような状況下、平家方の平知盛は何とも落ち着いた、余裕さえ感じる態度で描かれます。

天皇の御座所となっている船に来た彼は、もはやこれまでであるから見苦しくないよう掃除をするよう伝え、戦況を聞かれれば

「めずらしきあづま男をこそ御覧ぜられ候はんずらめ」「珍しい東国の男をご覧になられることでしょう」

とからからと笑うのです。

そして、清盛の北の方、二位尼。この人も気丈でした。喪に用いる衣をかぶり、神璽を脇にかかえ、宝剣を腰にさし、天皇を抱いて

「浪の下にも都のさぶらふぞ」「波の下にも都がございます」

そう言って入水したのです。二位尼は安徳天皇の祖母、建礼門院徳子の母でもある人。何とも、凛々しい最期です。

建礼門院徳子も後に続こうと、温石や硯を懐に、入水。しかし、彼女は、引き上げられ助かってしまいました。母と我が子を失って生き残る、その辛さはいかばかりでしょう。

平教盛・経盛兄弟、平資盛・有盛兄弟、その従兄弟平行盛も入水し果てました。

平家のこの時の頭領、何かと評判の悪い平宗盛と、その子清宗は、入水の決断すらできず、部下に突き落とされ、さらに泳ぎが達者で沈まず、義経の配下伊勢三郎義盛に生け捕られました。

弓に強く、戦上手な能登殿こと平教経は最期の奮戦。どうせなら良い敵をと、義経にあと一歩と迫りますが、義経は船をゆらりと飛越え逃げました。強さに定評のある能登殿を相手に、このとき戦う必要は義経にはありません。もう、源平の勝敗は決しています。

あとは、見物とばかりに、義経は能登殿をかわして去ります。いかにも、彼らしいですね。

能登殿は源氏方の力自慢の武者を道連れに、入水。

すべて見届けた平知盛も、重い鎧を着こみ、入水しました。

同じ平家一門とはいえ、このように様々な態度をみせる彼ら。『平家物語』は人間としての彼らをつぶさに描きます。下の図は平家の家系図。参考に御覧下さい。

 

平家家系図

いかがでしたか?

今回は、『平家物語』をもとに、壇ノ浦の戦いの経過を追いました。負ける戦と悟ってからも、泰然自若としていた平知盛。凛々しい、二位尼。いつも通り奮戦する、能登殿。いつも通り決まらない、宗盛。平家方の人間模様も、とても面白く描き出されていますよね。また、別の記事で原文の紹介も載せていきたいと思います。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

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