アニメ「平家物語」第7話終盤。
夫・高倉天皇、父・清盛を相次いで亡くした、中宮徳子。彼女が、第7話の終盤で、後白河法皇に対し語っていた言葉、吟じていた詞もまた、印象的でしたね。
龍女も仏になりにけり
『望まぬ運命が不幸とはかぎりませぬ。望み過ぎて不幸になった者たちを、多く見て参りました。得たものの代わりに何を失ったかも分からず、ずっと欲に振り回され。私は泥の中でも咲く花になりとうございます。』
『女人五つの障りあり。無垢の浄土はうとけれど、蓮華真言に開くれば、龍女(りゅうにょ)も仏になりにけり。』
徳子のこのセリフは、『平家物語』の末尾にあたる、灌頂巻(かんじょうのまき)「六道之沙汰」を根拠としていると思われます。時系列としては、かなり後の話になります。源平の戦も終わり、頼朝の治世のころ。
自分一人生き残り、出家し大原で一族の菩提を弔い暮らす建礼門院徳子。訪ねてきた後白河法皇に、徳子が自身の生涯を、仏教のいう六道になぞらえて語る条です。
蓮華真言、というのは、女人であっても救われる、とした、妙法蓮華経(法華経)のことでしょう。
原文では、徳子の語りの中で「弥陀の本願に乗じて、五障三従の苦しみをのがれ、」という言葉が出てきます。
この五障(五つの障り)とは、仏教の所説で、女は梵天王・帝釈・魔王・転輪聖王・仏になることはできない、というもの。また、三従は、幼時は親に、嫁しては夫に、老いては子に従うべきとする教え。
仏教では、悟りを開き、仏となって輪廻から解放されることが最終の目標ですので、仏になれないということは、女は輪廻から抜ける手段さえない、とされたのです。
しかし、大乗仏教の教典の一つ「法華経」の提婆品(だいばぼん)には、「八竜王の一なる沙羯羅竜王の女、八歳の時正覚を得男子となつて南方無垢世界に成仏す」と書かれています。
徳子はこれを、心の拠り所としたのでしょう。実際この時代に、大乗仏教(天台宗や日蓮宗)、その経典の「法華経」は広く人々に信じられるようになっていました。
当時の女性たちは、女であり、龍(ここでは聖なるものではなく、畜生であるとされる)である者でも、成仏したと書かれていることを、女人往生(女人であっても救われること)の根拠と解釈したのです。
『許して、許して、許す』これもまた、アニメで徳子が語ったセリフ。
しかし、このときの徳子には、まだまだ多くの苦しみ、嘆きが待ち受けています。後白河法皇のセリフにもあるように、徳子は既に「無間の泥のなかに、引きずりこまれ」ていました。
今回はここまで。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
続きの記事
建礼門院徳子が、出家して過ごした寂光院についても、記事にしています。
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