『愚管抄』に「イミジク心ウルハシク」と書かれ、『百錬抄』に「武勇、時輩ニスグルトイエドモ、心操甚ダ穏カナリ」と書かれた重盛。
その最期を『平家物語』は神秘的で超人的な逸話として、記しました。
無文の太刀
巻第三、「無文」より
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訳文
その朝、嫡子権亮少将維盛が、院の御所に参上しようとして、出られようとするところを、大臣はお呼びになっって、
「親の身でこのようなことを申すのは、たいへんおこがましいが、そなたは子のなかでは、すぐれた者に見える。ところで、この世のありさまは、どうなることかと心細く思われてならない。貞能はいないか。少将に酒をすすめなさい」
と言われると、貞能がお酌に参った。
「この盃をまず少将にさしたいが、親より先にはきっと飲まぬであろうから、重盛がまず、いただいてから少将にさそう」
と三度うけたのち、少将にさされた。少将がまた三度うけられるとき、
「貞能、引出物をお渡しせよ」
と言われた。貞能は畏まって承り、錦の袋に入った御太刀を取り出した。「ああ、これはわが家に伝わる小烏という太刀であろう」などと、このうえもなくうれしそうに御覧になったが、そうではなくて、大臣の葬儀のときに用いる、無文の太刀であった。そのとき、少将は顔色が変わって、たいそう忌わしそうに御覧になったので、大臣は涙をはらはらと流して、
「少将よ。それは貞能の間違いではない。なぜかというと、この太刀は大臣の葬儀のときに用いる無文の太刀だ。入道がお亡くなりになったときは、重盛が佩いてお供をしようと持っていたのだが、今は重盛が、入道殿に先立って世を去ることになろうから、そなたにさし上げるのだ」
と言われた。少将はこれを聞かれて、なんの返事もできず、涙にくれうつぶして、その日は出仕もなさらず、衣を引きかぶったまま臥してしまわれた。その後、大臣は熊野に参詣され、帰京して病にかかり、まもなくお亡くなりになったので、あの一件はそういうことであったのかと思い知らされたのであった。
「親の身でこのようなことを申すのは、たいへんおこがましいが、そなたは子のなかでは、すぐれた者に見える。ところで、この世のありさまは、どうなることかと心細く思われてならない。貞能はいないか。少将に酒をすすめなさい」
と言われると、貞能がお酌に参った。
「この盃をまず少将にさしたいが、親より先にはきっと飲まぬであろうから、重盛がまず、いただいてから少将にさそう」
と三度うけたのち、少将にさされた。少将がまた三度うけられるとき、
「貞能、引出物をお渡しせよ」
と言われた。貞能は畏まって承り、錦の袋に入った御太刀を取り出した。「ああ、これはわが家に伝わる小烏という太刀であろう」などと、このうえもなくうれしそうに御覧になったが、そうではなくて、大臣の葬儀のときに用いる、無文の太刀であった。そのとき、少将は顔色が変わって、たいそう忌わしそうに御覧になったので、大臣は涙をはらはらと流して、
「少将よ。それは貞能の間違いではない。なぜかというと、この太刀は大臣の葬儀のときに用いる無文の太刀だ。入道がお亡くなりになったときは、重盛が佩いてお供をしようと持っていたのだが、今は重盛が、入道殿に先立って世を去ることになろうから、そなたにさし上げるのだ」
と言われた。少将はこれを聞かれて、なんの返事もできず、涙にくれうつぶして、その日は出仕もなさらず、衣を引きかぶったまま臥してしまわれた。その後、大臣は熊野に参詣され、帰京して病にかかり、まもなくお亡くなりになったので、あの一件はそういうことであったのかと思い知らされたのであった。
この条でその朝、と始まるのは、前回紹介した、重盛が平家の滅亡を予見する夢を見たその日の朝、という意味です。
重盛は、春日大明神が父を打ち取る(平家が滅亡する)その日が近いと予見しながら、それに自分が立ち会えず、親である清盛より先に、自分が死ぬであろうと、維盛に話したことになります。
熊野参詣
巻第三、「医師問答」より
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訳文
小松内大臣は、このようなことを聞かれて、万事につけて心細く思われたのであろうか、そのころ熊野へ御参詣になった。本宮の証誠殿の御前で、一夜じゅう神にうやまい申しあげることには、
「(略)南無権現金剛童子、願わくば子孫の繁栄絶えることなく、末長く朝廷にお仕えすることができるならば、入道の悪心をやわらげて、天下の安泰を保たせてください。もし栄華が父一代だけで終わり、子孫が恥をうけるということになるのであったら、重盛の命をちぢめて、来世の輪廻の苦しみをお救いください。この二つの祈願について、ひたすら御神の御加護を仰ぎ願います」
と心身を砕いて祈念しておられると、灯篭の火のようなものが、大臣の御身から出て、ぱっと消えるようになって見えなくなった。大ぜいの人がこれを見たけれども、怖れはばかってだれも口にはしなかった。
「(略)南無権現金剛童子、願わくば子孫の繁栄絶えることなく、末長く朝廷にお仕えすることができるならば、入道の悪心をやわらげて、天下の安泰を保たせてください。もし栄華が父一代だけで終わり、子孫が恥をうけるということになるのであったら、重盛の命をちぢめて、来世の輪廻の苦しみをお救いください。この二つの祈願について、ひたすら御神の御加護を仰ぎ願います」
と心身を砕いて祈念しておられると、灯篭の火のようなものが、大臣の御身から出て、ぱっと消えるようになって見えなくなった。大ぜいの人がこれを見たけれども、怖れはばかってだれも口にはしなかった。
冒頭のこのようなこと、というのは京で起こったつむじ風による、多大な被害のこと。モノノ怪の仕業と騒がれました。
全てを事前に察知していたかのような、重盛の言動。その身から出た灯篭の火のようなもの。超人的な表現で、重盛が描かれていますね。
巻第三、「医師問答」より
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また熊野からの帰りに、岩田川を渡られたが、嫡子権亮少将維盛以下の公達が、浄衣の下に薄紫の衣を着て、夏のことなので、川辺でなんということもなく水遊びをなさったとき、浄衣が濡れて、下の衣の色がまるで喪服のようにうつって見えたので、筑後守貞能がこれをみとがめて、
「どういうことでしょうか、あの御浄衣がたいへん不吉なものに見られます。お召し替えになるのがよろしいでしょう」
と申し上げたが、大臣は、
「私の祈願がもう成就したのだ。その浄衣は強いてあらためるべきではない」
と言われて、とくに岩田川から熊野へ、御礼の幣(ぬさ)を奉納する使者をお立てになった。人は不審に思ったが、その真意は理解しなかった。ところが、この公達はまもなくまことの喪服を着られることになったのは、不思議なことであった。
「どういうことでしょうか、あの御浄衣がたいへん不吉なものに見られます。お召し替えになるのがよろしいでしょう」
と申し上げたが、大臣は、
「私の祈願がもう成就したのだ。その浄衣は強いてあらためるべきではない」
と言われて、とくに岩田川から熊野へ、御礼の幣(ぬさ)を奉納する使者をお立てになった。人は不審に思ったが、その真意は理解しなかった。ところが、この公達はまもなくまことの喪服を着られることになったのは、不思議なことであった。
ここでも、全てを悟り、受け入れているかのような重盛の言葉が書かれています。
程なくして重盛は病となり、熊野権現が願いを聞いてくれたのだと、治療も祈祷も行わせませんでした。心配して宋の名医の診察を受けるよう清盛が言っても、受けなかったのです。
重盛は出家をし、心静かに臨終をむかえ、亡くなったと記されます。
今回はここまで。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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