【京都市京セラ美術館】モダン建築の京都【2021年9月25日~12月26日】

モダン建築の京都 京都のレトロ散策

 

「モダン建築の京都」展は京都に現存する明治、大正、昭和の「モダン建築」を厳選。明治元年から1970年代初頭までに竣工した100の建築の中からさらに36のプロジェクトを選び、7つのセクションに分け貴重な資料とともに紹介しています。展示資料は400点を超え、今回初公開となるものも多くあります。

この記事では、「モダン建築の京都」の楽しみ方の予習程度になるよう、ご紹介します。写真は一部撮影が許可されていた同展のものと、以前私が実際にそれらの建築を訪れて撮影したものです。

 

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古都の再生と近代

1章では、明治期京都の復興に焦点を合わせ、「旧御所水道ポンプ室」や「京都市明倫尋常小学校(現・京都芸術センター)」など、西洋の文化や技術を取り入れて京都を再生したプロジェクトを取り上げています。

平安神宮が明治の象徴?

京都の名所をめぐるとき、名跡の多くは古いもの。建物は火災によって平安時代、鎌倉時代、室町時代のものは珍しいとはいえ、寺社の多くは江戸時代三代将軍までに再建をされています。再建、でさえ400年ほど前なのです。それに比べると、明治に入ってからの平安神宮の造営は新しいなぁと感じる方もいるのではないでしょうか。

その、新しさの理由は明治時代の日本国家の威信をかけた、一大事業にありました。

内国勧業博覧会は明治時代の日本で開催された博覧会である。国内の産業発展を促進し、魅力ある輸出品目育成を目的として、東京(上野)で3回、京都・大阪で各1回の計5回を政府主導で開催された。(ウィキペディアより)

1895年(明治28年)第四回内国勧業博覧会が開かれます。この、日本の発展の象徴的イベントに際して、平安遷都千百年紀念祭を控えた京都が開催地に選ばれました。紀念祭の中心事業が平安京大内裏を再現した平安神宮の造営です。博覧会会場は現在の岡崎公園と動物園の辺りに整備され、平安神宮の造営は、それに北接して同時に進められたようです。

平安の雅を再現した建築は、明治の日本国の近代化の流れを受けて、造られたのです。

「モダン建築の京都」展会場でまず出迎えてくれる、平安神宮や勧業博覧会にまつわる展示。数々の展示品があり、楽しめます。設計した伊東忠太・木子清敬による平安神宮《慶天門之図》は設計図案の中に、ステッキを持つ紳士が描かれ、何とも素敵ですよ。

写真は実際訪れたときのもの

平安神宮

平安神宮

 

琵琶湖疎水と旧御所水道ポンプ室

産業の近代化を進める京都にとって、交通の不便と農業用水の不足は課題でした。そこで1890年(明治23年)琵琶湖疎水が竣工されます。疎水は田畑だけでなく、水力発電を利用して路面電車を走らせることにも使われました。

 

水路閣2

南禅寺水楼閣

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様式の精華

第2章では、明治後期から京都の街を飾り始めた様式建築をテーマに、「帝国京都博物館(現・京都国立博物館)」などを紹介。

明治30年代後半には近代都市は、様式建築で整備されていきました。バロック、ルネサンス、ネオ・ゴシック、クイーン・アン様式など様々な様式に則った作品が残されました。京都での様式建築の導入は、東京や大阪にやや遅れをとりましたが、洋式建築が一定の成熟をみた時期に建てられたといえます。

同展展示から、いくつかピックアップします。

帝国京都博物館(現・京都国立博物館)

1895年(明治28年》竣工

外観はフランスのバロックを基調として、古典主義が折衷された意匠。

京都国立博物館

京都国立博物館

長楽館(旧村井吉兵衛京都別邸)

煙草王と称された実業家村井吉兵衛の別邸。J・M・ガーディナーにより1909年(明治42年)建てられました。多様な意匠の網羅を企図し、個性的な邸宅建築。

「モダン建築の京都」展では建築家、設計者、そしてその住宅のオーナーの人となりも推測できる、調度品などの展示も魅力的です。

螺鈿細工の椅子

館内でも、写真撮影可能な展示にはその旨表示してくれていました。何とも豪勢な調度品。煙草で財を成し、銀行行、紡績業、鉱山業、石油業と事業を拡大した人物らしく、贅を凝らしています。

この螺鈿細工の椅子は、喫煙室に置かれていたそうです。

長楽館 螺鈿細工の椅子

ロココ調のS字椅子

長楽館 S字椅子

ロココ調のS字椅子

両切たばこ「サンライス」「ヒーロー」

両切たばこ「ヒーロー」

下村正太郎邸・「中道軒」(現・大丸ヴィラ)

W・M・ヴォーリスによるチューダー様式の建築。1932年(昭和7年)

様式美の代表のような邸宅。邸宅の外観から内装の写真、設計図、平面図など。家具は実物を展示しています。古き良きイギリスを、日本の京都で再現した邸宅です。

 

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和と洋を紡ぐ

第3章では、「京都市庁舎本館」や「大礼記念京都美術館(現・京都市京セラ美術館)」など、日本と多様な文化を折衷した建築に関する展示を展開しています。

和と洋の融合・周囲の環境との調和をとらえるに当たって模索されたのは、日本と西洋の間に位置する中国や中東などの要素を混ぜ合わせ、建築に反映させることでした。京都市庁舎本館のインドや中国のモチーフ、現・京セラ美術館の正面千鳥破風や現・本願寺伝道院のインド・イスラム風の八角ドームなどによく顕れています。

聴竹居(旧藤井厚二自邸)

東京で学び、竹中工務店で働いていた藤井厚二が京都帝国大学に着任し、環境工学を探求して建てた住宅。1928年(昭和3年)。

大礼記念京都美術館(現・京都市京セラ美術館)

1933年竣工、2019年改修。今回の「モダン建築の京都」展を開催している京セラ美術館も、多様な文化を折衷している建築です。

 

京セラ美術館

京都市京セラ美術館

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ミッショナリーアーキテクトの夢

第4章は、学校建築、中でもキリスト教の建築家たちの作品が紹介されます。宗教的使命感のもとで設計や建築に臨んだ建築家たちをミッション建築家(ミッショナリー・アーキテクト)とよぶのだそう。

京都は大学の街でもあります。京都市は政策においても、大々的に学校の建設を促し、学生の街へのかじ取りをしました。そして、教会やミッションスクールの発展期も訪れます。キリスト教団体の宣教師であり、建築設計に長けた人物が次々来日。J・M・ガーディナーは1880年(明治13年)立教学校(現・立教大学)の校長として着任。1881年(明治14年)宣教師D・C・グリーンは同志社の神学科教師として着任。1905年に来日したW・M・ヴォーリスの活動もこれに連なります。

ゴシック・スタイルの建築様式や、煉瓦造建築、ステンドグラスの意匠など、キリスト教会建築の伝統に則った建築は全国的に多数つくられました。

「同志社クラーク記念館」「同志社礼拝堂」「平安女学院明治館」などの展示が多数あります。

 

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都市文化とモダン

第5章では、街中のモダン建築が紹介されます。より、身近に感じられる建築ですね。

1920年~30年、日本の建築の流れではモダニズムと呼ばれる、機能性や合理性を重視し、鉄筋コンクリートや鉄骨造による装飾を省いた抽象性の高いデザインの建物が登場するようになります。しかし、装飾で彩られたものや、様式性を備えたものがまだ多くを占めました。さらに、京都ならではの特徴もみられます。地元の建築家や工務店が設計した比較的小さな建物が目立ち、洋風やモダンさの中に和風が取り入れられました。手作りの色とりどりのタイルが使われたり、花鳥風月をテーマとしたステンドグラスがあったり、といった具合でした。

モダンに憧れ、しかし、新しさと古さがせめぎ合う、ちょうど着物と洋装が同時に見られた時代にマッチした建物が、立ち始めたのです。

 

日本銀行京都支店(現・京都文化博物館)

 

京都文化博物館

京都文化博物館

京都文化博物館

京都文化博物館

レストラン矢尾政(現・東華菜館)

 

東華菜館

 

フランソア喫茶室

フランソア喫茶室 外観

フランソア喫茶室

 

フランソア喫茶室 3

フランソア喫茶室 1

フランソア喫茶室店内

「モダン建築の京都」展では他にも進々堂など、街で親しまれる現存の建築が紹介されています。三条通りや四条大橋付近には、このようなモダン建築がたくさん見られますよ。以前、フランソア喫茶室や、三条通りのレトロ建築について記事にしています。そちらもご覧ください。

記事内リンク

【フランソア喫茶室】戦争の時代と闘った、京都の喫茶店

【三条通り】明治レトロな建築とアンティーク雑貨

 

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住まいとモダン・コミュニティ

第6章、さらにモダン建築は人々の間へ広まりました。住環境として考え抜かれた、個人宅や集合住宅が紹介されます。

明治40年代、京都の郊外の住宅地化が本格的に動き出します。郊外にまず移り住んだのは学者や芸術家、文筆家といった人々。戦争の時代を挟み、郊外への移動は次第に、新中間層と経営者層へと広がっていきます。明るくモダンな衣食住を求めた、住空間がつくられました。

「南禅寺界隈別荘庭園群・無鄰菴」「駒井家住宅」などが紹介されますが、私が特に気になった展示は「堀河団地」に関する資料です。撮影可能だったものをいくつか紹介します。

堀河団地

中でも、目を引く展示はこちらでしょう。戦後へと時を移します。堀河団地は戦後まもなく建設されたRC造の市街地方集合住宅です。疎開空地を利用して堀河通りが整備され、1951年~1954年にかけてこの団地が建設されました。

堀河団地 模型

堀河団地 出水団地の住棟模型1/100

備え付けの椅子は、座って撮影OKという展示です。玄関のライトや、外観の柱周りに使われていたタイルなど、モダンでおしゃれ。

堀河団地 資料

堀河団地 植木団地の資料

作り付けの食器棚や和室と台所をつなぐ配膳台と小窓の写真なども紹介されています。洋風を取り入れたモダンな造りは、憧れの的だったことでしょう。

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モダニズム建築の京都

第7章は、合理的な建築を追求して様式建築からの脱却を図った戦前と、国際的な潮流を受容しそれを深めていった戦後に着目。「京都帝国大学(現・京都大学) 楽友会館」や「国立京都国際会館」など、戦前・戦後のモダニズム建築を紹介しています。

「旧本野精吾邸」

1924年竣工の「旧本野精吾邸」は合理性に富んだ住宅。鉄筋コンクリート造でコンクリートブロックを使った外装、居間・食堂から台所、女中室、玄関と室内を一周できる造り。動線に配慮されつつ、来客を多数受け入れられるよう居間の南側にパーゴラ付きのデッキを設けています。

京都帝国大学(現・京都大学)花山天文台

花山天文台

花山天文台模型

1929年(昭和4年)竣工

本館と別館の意匠的な特徴として、半球、円柱、直方体といった幾何学形態の組み合わせによって全体が構成されています。「特に本館エントランスホールは、複雑で変化に富んだ空間が実現されている」のだそう。

展示の写真を見ていくと、目的に合わせた機能性と、曲線や直線をそれぞれテーマとした美しい空間を両立させた建物に、圧倒されます。

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充実の展示 レトロモダンな京都

いかがでしたでしょうか。以上展示に沿った7章で、「モダン建築の京都」展の全容を予習程度にご紹介しました。明治から昭和への時代の中で、京都の建築史をたどることができます。もちろん、ご紹介したのはほんの一部です。建築家たちの手記や、建物の意匠のパーツ、中で使われている家具など実物、貴重な映像、建物のジオラマも多数、展示されています。

同展で紹介されている建築を実際に見ることができる(個人宅を除いて)というのもこの「モダン建築の京都」展の魅力の一つです。京都の街中に、多数の建築が現存しているのです。100年ほどの月日を経て、博物館として、商業ビルや喫茶店として、現役で使われるモダン建築の数々。400年ほど前の寺社建築が多数ある京都ではむしろ若い建物といえるかもしれませんね。だからこそ、気負わず日常のなかに溶け込んでいるのかもしれません。

いずれにしてもこの、明治時代からのモダン建築の数々は、京都のもう一つの魅力です。

ぜひ、「モダン建築の京都」展行かれてみては?明治・大正・昭和モダンに着目した、ひと味違った京都旅がしたくなりますよ!

 

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