1932年(昭和7年)に創業した、自家焙煎珈琲を楽しめる、老舗喫茶店。
耳で聞く、読書はいかが?
日本最大級!オーディオブックなら - audiobook.jp創業当時の洋食・喫茶店文化って?
以前、フランソア喫茶室の紹介記事でも触れていますが、1920年代、京都はカフェー全盛の時代でした。1911年に銀座にプランタン、カフェーライオン、カフェーパウリスタが相次いで創業。その後カフェーというジャンルは急速に広がり、日本の近代文化の必須要素として定着しました。そして、「喫茶店」は、カフェーという文化から枝分かれする形で生み出されてきました。
カフェーの誕生、一大ブーム
カフェーというジャンルは、大正デモクラシーの興隆はありつつも、朝鮮半島の植民地化(1910年)、中国への軍事的侵略、「治安維持法」の成立(1925年)を経て太平洋戦争へと突入する時代に発生、発展していきました。共産主義者や社会主義者は弾圧され、政治的領域では民主制は抑圧されていきます。
エロ・グロ・ナンセンスという言葉は聞いたことがありますか?この時代について形容した表現で、市民の感じていたものとして秀逸な表現なのだと思います。
何とか西洋に追いつくべく取り入れた生活様式、女性の社会進出。しかし、抑圧されていく民主主義。それらが一度、日本の築いてきた文化を打ちこわし、皆が浮足立っていた時代。軍部の暴走はやがて、人々の目にも明らかにはなるものの、巨大な勢力として君臨。排他的、退廃的ムードが漂っていたのでしょう。
カフェーというジャンルは、当初の学生や芸術家の意見交換の場、家族で行ける洋食屋としての場から、男性をもてなす享楽的な場へと変化したようです。
京都においても「女給の人気投票」が京都日日新聞社によって度々行われ、また映画女優を呼んでのイベントも開催(新京極にあったカフェーローヤル)、そしてダンスホール、という新たな要素もカフェーが担っていきました。
1920年代の終わりころには、警察による取締規則が発令されていきます。「新しいこと、西洋的なこと、風紀における自由な在り方は社会秩序を乱し、若い人を不良化する」というのが内務省や警察の認識でした。あるいは、戦時体制への導入口として、統制のやり玉にあがった、ということかもしれません。
女給が客席に侍り接待をするサービスがあるものがカフェーとされ、出店地域の制限や、ジャズ演奏の禁止、女給のダンス禁止など、細かい営業内容の規定がされました。
喫茶店の誕生
1929年から33年の間に、カフェーから喫茶店が分離し、両者の差別化が進んでいきました。女給の接客に主眼を置くのではなく、落ち着いた洗練された空間で、珈琲を味わう。現在の喫茶店のコンセプトは、これらを引き継いだものなのです。
しかし、喫茶店の発展は戦後に持ち越されます。フランソア喫茶室の立野正一のように圧政に文化新聞「土曜日」を支援する形で抵抗する、気骨ある人も現れますが、時代の流れは戦争へと傾いていきました。
1938年には「国家総動員法」が公布・施行され、統制されていき、1944年には「高級享楽停止に関する非常措置」により、カフェーは事実上終焉を迎えました。喫茶店は、法的には営業できましたが、物資不足の深刻化と配給制度の設立や強化のなか、生き残ることは至難の技だったでしょう。まして、洋食・珈琲を出していたらなおさらです。
京都は都市としては奇跡的に、空襲を免れましたので、戦前からのレストランや喫茶店、バーがいくつか、現在も営業を続けています。河原町駅周辺だけでも、レストラン菊水、フランソア喫茶室、京極スタンド、京都サンボアなどがそうです。
「スマート喫茶店」もそのひとつ。「スマートランチ」という店名で1932年創業したようですから、ちょうどカフェーの衰退、喫茶店への移行の頃に生まれたお店ですね。
クラシックな店内を楽しむ
レトロな空間、香り高い珈琲、昔ながらのホットケーキ
現在は三代目のオーナーが、創業当時の味を守っています。
大切にしていること、としてこのように書かれています。
コーヒーやほかの商品は代々引き継いできたものだし、アレンジはしていません。
アレンジしたらそれを求めてきてくれたお客さんに、違うものを提供することになります。
磨きはかけるけれども、変えることはしていません。
それは、クオリティーを下げないこと。
ホームページ「こぼれ話」より
ホットケーキや自家製プリンはおばあさまのレシピ、らしいです。
アメリカンと昔懐かしい、しっかりとしたホットケーキ。私はこの、アレンジされていない、しっかり重いホットケーキに本物のバターがのっているのが大好きです。こちらでは、プリンも、しっかり固め。かための、懐かしいものが好みの方には、ぜひお勧めしたいです。
珈琲豆を焙煎する音、香り、小さくかかっているクラシック。周りの常連らしいおじさんの会話。新聞をめくる音。そうそう、これが居心地いいのです。
振り子時計が、時々ボーンボーンと時間を知らせてくれ、それがまたレトロな音です。
普段はよく、入店待ちの列を見るので、一人で並ぶ勇気のない私はなかなか入れません。空いている時間をねらって、1年ぶりくらいで訪れました。
以前は喫煙可能でしたが、ご時世柄、吸えなくなったよう。あと、20年ほど前に復活させて、2階で提供しているランチ、2021年1月某日はやっていませんでした。コロナ禍だからでしょうか。
また、味わえる日を楽しみにしています。
昔を想い、珈琲を味わう
スマート珈琲店は女給さんは置かなかったかもしれませんが、その当時、きっとこの通りを多くの女給さんたちが通ったことでしょう。
大正レトロな、女給さんもきっと可愛らしかったのだろうな、警察とのいたちごっこは大変っだったかしらん、などと、喫茶店文化の始まりを想いながら、珈琲を味わうのも楽しいですよ。
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