【谷崎潤一郎「陰翳礼賛」】本を片手に京都をめぐる⑥

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陰翳礼賛 本を片手に京都をめぐる
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「痴人の愛」や「細雪」で知られる明治時代~昭和時代の作家、谷崎潤一郎。小説には、数々の個性ある女性が登場します。彼の作品の特徴は、耽美的、マゾヒズム的、モダニズム的、悪魔主義などと表現されています。彼の作品に登場する女性は、確かにこれらの表現がピタリと当てはまるように思います。

日本が開国して間もない明治から昭和までの激動の時代、西洋の文化が日本に流入、浸透していきます。良くも悪くも、日本文化は西洋のそれと比較され、淘汰されました。すべてが失われた訳ではありませんが、控えめに言っても生活様式は一変したのだと思います。

「陰翳礼賛」(いんえいらいさん)は1933年、谷崎が47歳のころ書かれた随筆です。

 

陰翳礼賛

 

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概略

 

この本は6章からなっている随筆です。

陰翳礼賛
懶惰の説(らいだのせつ)
恋愛及び色情
客ぎらい
旅の色々
厠の色々

 

前半の3章は西洋文化と日本文化の対比をしながら、谷崎の見方を綴っています。

日本家屋を建てる際の苦心、厠と西洋式トイレ、囲炉裏や行灯、蝋燭の灯りと電燈。「闇」の効果(漆の器、建築、金銀、能役者・能衣装、武士の服装、文楽)、女と「闇」、日本人の歯、西洋人の歯、消極的な摂生法の日本、多食多活動の西洋。文学や芸術の比較、日本女性と西洋の女性(女性への見方、扱い)、恋愛を格下とみる日本、恋愛を至上とみる西洋。などが、触れられているテーマです。

後半の3章は谷崎自身の人となりがにじみ出る、エッセイとして読みたいページが続きます。にしても、「厠の色々」という文章を書いてしまう程のトイレへのこだわりには、笑ってしまいます。猫好きな谷崎が猫のしっぽについて書くことではじまる「客ぎらい」や「旅の色々」は、現代にこそ、共感する人が多いのでは。

 

谷崎らしい、女性評

女性を主題に書くことの多かった谷崎らしく、「恋愛及び色情」では女性の見方にも触れています。

大体において、西洋に批判的な谷崎も、女性の見方については日本文化に疑問を呈しています。
西洋と比較することが無ければ、日本の女性の人権がここまで無に等しいということに、気付くこともできなかったかもしれません。

谷崎も書いているように、この頃は西洋に習う形で「自覚ある女性」の出現を望み、かつ夢見た時代でした。
作品のなかにおいても、没個性的で、男性の膝に倒れこむばかりだった女性像。それが、夏目漱石の「虞美人草」や、谷崎の「痴人の愛」に登場するような強い個性と意欲をもった女性へと変わっていったのです。
良し悪しは置いておいても
「没個性の教育が、かえって色気をうむことがある。」

「歴史上、女性は個人ではなく「女」というものだった。」
「ともすると、夜や闇の中にしか存在しないかのように描かれた。」

と谷崎が分析している通り、事実として日本の女性は押し込められてきた歴史が長いです。文章は美しいのに、女性の立場で共感となると難しい作品がほとんど。

女性がただのアイコンだった頃の、闇と結びつけた美しさは、痛々しい歴史のなか生まれていることも、やはり頭を離れません。

もちろん、美的効果をうまく使って、男を手玉にとる、頭のよい女性もいたでしょう。名は残らずとも、女性が人生を、満喫できなかった証明にはなりません。

そして女性に対する意識が高まったとしても「闇と女」は確かに、幽玄で美しいものです。

この頃の、漱石や太宰治の描く女性は、男たちに振り回されながら、あるいは男たちの目線を意識しながらも確かに個性があり、生き抜く姿勢がある、という描かれ方になっています。そもそも、個人として描かれていなかった歴史を想えば、なんと躍進的なことでしょう。

 

『が、夢と現実とはなかなか一致するものではない。古い長い伝統を背負う日本の女性を西洋の女性の位置にまで引き上げようと云うのには、精神的のも肉体的にも数代のジェネレーションにわたる修練を要するのであって、これが我々一代の間に満たされよう筈はない。』

『またその夢の容易に実現されそうもないのにこの上もない淋しさを感じた一人であった。』

 

男たちが、自然振り仰いでしまう程の、凛と美しい、もの言う女性の出現を彼ら作家も、望んだのかもしれません。

 

光と翳(かげ)を楽しむ

明治時代から大正時代、昭和時代への西洋文化と日本文化の折り重なった風俗。その時代だったからこそ見える日本文化の特性。
比較の対象があるということによって、より鮮明にその特徴が浮き上がったのでしょう。世間は洋風の生活に憧れを抱き、カフェーが流行り、洋装が流行ります。ラジオ、電燈、自働車に電車。そんな流れに抗うかのような、谷崎の文章は、特に、日本家屋の持つ陰翳に触れるものが印象的です。

谷崎は、島原の角屋で「灯に照らされた闇」の色を見た、と書いています。

 

『眉を落して鉄漿(おはぐろ)を附けている年増の仲居が、大きな衝立の前に燭台を据えて畏まっていたが、畳二畳ばかりの明るい世界を限っているその衝立の後方には、天井から落ちかかりそうな、高い、濃い、ただ一と色の闇が垂れていて、覚束ない蝋燭の灯りがその厚みを穿つことが出来ずに、黒い壁に行き当たったように撥ね返されているのであった。』

『屋内の「眼に見える闇」は、何かチラチラとかげろうものがあるような気がして、幻覚を起こし易いので、或る場合には屋外の闇よりも凄味がある。魑魅とか妖怪変化とかの跳躍するのはけだしこういう闇であろうが、その中に深い帳を垂れ、屏風や襖を幾重にも囲って住んでいた女と云うのも、やはりその魑魅の眷属ではなかったか。』

 

 

島原 角屋 外観

角屋。年代を感じる外観。

角屋、室内。ほの暗い中でこそ見える、天井や欄間の陰影の美しさ。

 

島原の角屋は以前このブログでも触れた揚屋です。太夫や天神を置屋から呼び、宴を開くお店ですね。現在は、観光に訪れることができます。島原は新選組隊士が通ったことでも知られますが、こちらに谷崎も通ったのですね。

日本家屋における、光と闇の効果、建築そのものだけでなく、障子や襖、屏風などの調度品、漆塗りの器の効果、金銀の闇の中での美しさ。また、能役者・能衣装、武士の衣裳や文楽も、闇の効果でどんなに美しいものとなるか。

この陰翳への深い考察は、この作品の要であり、私たちに、消えかけた文化の根幹を思い出させてくれます。日本の工芸を美術館で観るのとは違う、日本家屋で使われてこそ活きる輝きを想い起こさせてくれます。

 

『私は、我々が既に失いつつある陰翳の世界を、せめて文学の領域へでも呼び返してみたい。文学という殿堂の軒を深くし、壁を暗くし、見え過ぎるものを闇に押し込め、無用の室内装飾を剥ぎ取ってみたい。それも軒並みとは云わない、一軒ぐらいそう云う家があってもよかろう。まあ、どう云う工合になるか、試しに電燈を消してみることだ。』

 

こんな誘い文句を言われては、谷崎作品の闇の世界を、覗き込みたくて仕方がなくなります。

 

私たちの生活様式は、良くも悪くも大きく変わりました。しかし、根底には、このような細やかな陰翳をうまく捉え、生活に取り入れる情緒が、今も残っていると思うのです。京都で、そうした陰翳を楽しむ旅をしたいなら、小さく、あまり流行っていないお寺や神社を探して行ってみてください。そして、建物の一角にそっと座って、ゆっくり時間を過ごしてみてください。そして、誇れる文化は、生活の中にも、取り入れられます。部屋を薄暗くして、日本文学を読んでみるのもお勧めです。畳に落ちる、日の光の色が、刻々と変わるなか、ぼーっと過ごすのも一興です。

ちょっと気取って、灯りを変えて、生活の色を豊かにしたいと、思わせてくれる一冊でした。

 

法然院

谷崎純一郎の墓は、京都の法然院にあります。哲学の道からすぐ、周りの寺社に比べ、ひっそりと小規模なお寺です。しかし、苔むした茅葺の門、白砂壇、清められた境内、静かにたたずむ地蔵菩薩像、すべてが、光と影の中、美しいお寺です。こちらもまた、谷崎作品を読んだら、訪れてみてください。

法然院 1

法然院 2

 

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