【京大的文化辞典 その2】 自由を追求する大学と森見登美彦氏インタビュー

京大的文化辞典 本を片手に京都をめぐる
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京大的文化辞典を読んで

京大的文化辞典は、京大ならではのワードを詰め込んだ、テンションの高い、エネルギッシュな辞典です。以前の記事で概略と私の気になったワードを紹介しました。

今回はその中で、特に気になった箇所について、私なりの私見を書かせてもらいます。

気になってしまったのは「バリゲード・ストライキ」というワード。

「バリゲード・ストライキ」(大学紛争)

いわゆる大学紛争は1969年前後。全共闘や民青が大学当局と団交を行いました。

全共闘 全国共闘会議。1968年~1969年にかけて、各大学で学生自治会やセクトを超えて運動するために生まれた組織
民青 日本民主青年同盟の略称。日本共産党と連携して活動している
団交 団体交渉の略。労働三権の一つ。大学においては、学生が労働者の立場に擬して大学当局と交渉を行う。

この時、机や椅子、タテカンなどを針金で結束してバリゲードを築き、校舎あるいはキャンパス全体を封鎖。主張・要求を掲げて講義や試験を放棄し、大学の機能を麻痺させるバリゲードストライキが行われました。

数学者で京大の教授であった森毅氏は著書の『ボクの京大物語』の中で、このとき、「団交プロダクションのようなことを始めてしまった」と語っているそう。
この本には、教養部の名物教授たちとのエピソードもたっぷり登場するという。

1969年の1月からのバリストでは、バリゲードのなかで、学生たちが「反大学」をスローガンににした自主講座を立ち上げると、教養部の教官たちも正規の講義に代わる自主講座を開講。学生と「どっちがおもしろいものをやるかで、学生という客を取り合った」のだそう。

1970年~1993年までに教養部では28回のバリゲード・ストライキが行われたが、バリストを受けて、授業計画や方法の改革、教授会運営まで民主化が進んだのだそうです。

「教養部の歴史を紐解くと、真剣でありながらもどこか愉快な対話の光景と、自律的な変革の軌跡が見えてくる。」

前回の記事で、このように、内容の一部をご紹介しました。

大学紛争は違和感だらけ

いわゆる「学生運動」私たちの世代からすると不思議なものです。(私は30代)

以下丁寧語が半減します。あしからず。
自分で選んで大学に入っているのに、授業や試験を放棄?
労働力を企業に提供している労働者であれば、待遇改善を求めるのは分かります。
でも、金銭は払っても、恩恵はほぼ一方的に提供される「学生」が、どんな待遇改善を求めるの?自分でそのシステムに乗っかっておいて、たかだか4年で卒業する場で、そんな問題起こす?他の学生は正規の授業受けたいかもしれないのに。
と、疑問符だらけ。

意見の対立する教授は、避けるか、あえて議論を挑んでみれば楽しいかもしれないし、明らかな人権侵害があるなら正規のルートで処分を求める。
あまりに、自分の望む学びと遠ければ学ぶ場所を変える。そんな対処が、私の頭にはあるので。

建物の建て替えにしても、最終的に所有権をもつ大学側は、倒壊などへの責任を負っているのですから、決定権はもってしかるべきです。取り壊しを反対しても生徒は責任は取らず、卒業していくでしょう。

若くて、エネルギッシュ、時代の流れにのっかった、少し短慮で、でも行動力と団結力にあふれた、そんな学生たちを想像してしまうのです。

本書を読んで、考えなおしてみると

ただ本書を読んで考えなおしてみると、私たちの世代は、諦めが早いのも確かです。良くも悪くも個人主義なのでしょうね。一定の生活水準は満たされながら、不景気しか知らなかったのも、一因かもしれません。
長いものに出会うと、巻かれるか、遠くへ逃げるか、という選択をしがちです。「女性とは~べきだ」みたいなおじさんと、議論はしたくありません。
仕事関係の人なら、曖昧に笑ってやり過ごします。就職難だからと言って、大学の仲間と事業所を立ち上げる、というようなバイタリティーもありませんでした。

結果、問題が先送りされるだけだったのも確かです。長い目で見れば、後の女性のために、NOは言うべきだったかもしれません。
つぶすかもしれなくても、仲間と会社とか、劇団とかを立ち上げてみれば、何かが変わったかもしれません。(ただ、私は、私自身の選択を悔いてはいませんが。)

問題提起して議論したり、団体として数を味方に交渉する、その技術やノウハウを社会に出る以前に体験できる。長いものに巻かれずに、自分の発想を柔軟にしておく。

バリゲードの中で”抗議”するだけでなく、”講義”の対決をはじめた学生や教授たちから、学べることは多いかもしれません。

終章に登場する方々は、現実社会で、責任を持ちつつ、しっかり、社会に問題提起をし、なおかつ、具体的な活動をされています。

文面をみると、自分が見逃して、あるいは見ないふりをした問題に気付きます。

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森見登美彦氏のインタビューを読んで

京大的文化辞典には、京大出身の森見登美彦氏へのインタビューもありまして、これが読みたくて、本書を手に取ったわけですが。

少し抜粋しますと

色々な世代の人に「あ、これが自分の知っている京大だ」と思われています。70~90年代の京大の雰囲気を捉えられているのはどうして?

森見氏「父がちょうど学生運動の頃の京大生で。弁論部でいろんな人と議論していたから、そのなかには学生運動で捕まった人なんかもいたようです。だいたい、四畳半の下宿に住んだのも父親のノリが影響したせいで。だから、僕の京大は、当時のスタンダードよりちょっと古めなんですよ。あえて古めかしい部分を強調してるから。」

「猫ラーメンも父から聞いた話が元になっています。」

お祭りについて

「そもそも僕はお祭り騒ぎが苦手なんですよ。性格的にノレない。お神輿を担ぐとか、なんでみんなあんな荒っぽいことをするんだろう?と思っていたし、夜のお祭りの不気味さも怖かったし。」

「祭りってひとつの極限だと思うんですよね。ものすごく生きられるときなんだけど、狂騒的に盛り上がっていった最後には死の匂いが立ち込める。向こう側にある世界の匂いというか、言葉にできない、我々の理解できない世界の気配が高まっていくというか。自分の小説をものすごく深く掘っていくと、根底にあるテーマは「生きることと死ぬこと」のふたつしかない。(略)祭りにすごく心惹かれるのは、生と死が直接的に同じ場に現れるから。きっと祭りは、我々が生きることの中心にあることだと思うんですね。」

京大で見かける人について

「その人は自分の生をものすごく誠実に生きているんだけど、同時にやばい方向に行っていて、死の匂いをまとうのかもしれない。なんかこう、とんでもないことにエネルギーを注いでいる人を見るのは、痛快でこっちも元気になることだけど、同時にちょっと「大丈夫かな?」と心配になったり、怖くなったりする。」

学生について

「若いときは世界観がまだ固まっていないので、友達の言葉ひとつ、本一冊を読むだけでも自分の世界観が揺れ動く度合いがすごく大きくて。そういうヒリヒリ感はありましたね。」

ファンとしてインタビューを読む

インタビューは、作者が本書でテーマにしている「自由」や「阿保」にまで見える学生の行動についても触れられますが、私個人としては、お祭りに関する、森見氏の見解が面白く感じ、かつ、納得しました。

神社などで行われるお祭りは、確かに”神事”ですから、人間の日常でありながら、非日常。

”我々の理解できない世界の気配が高まっていく”という言葉が、ストンと納得できるのです。

森見氏は、さらに”何かにものすごく打ち込んでいる人”に対しても”死の匂い”を感じるようです。そこがまた、彼の作品につながるのかと、深く感銘を受けました。

「お祭り」で印象的だった森見登美彦氏の小説に「きつねのはなし」があります。作品の中に吉田神社の節分祭が出てきます。シリアスで、死の匂いに満ちた京都が体感できる作品です。このインタビューを読んで、まず連想してしまいました。

長めのインタビューに、森見作品にも多数登場する「京都大学」を探ることのできる本作。森見登美彦氏のファンの方が読んでも面白いかと思います。

ただし、「自由」への探求が強いので、読む側もエネルギーを使う作品です、前記事にも書きましたが、重ねて申し上げておきますね。

森見登美彦「きつねのはなし」

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