【「枕草子」】宮廷を賢く風流に生き抜いた女性【清少納言】

平安神宮 5 本を片手に京都をめぐる
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春は曙、で始まるこの随筆。皆様、教科書で同じみですね。無理やり読まされていた学生時代、この随筆は自慢話に満ちていて、上から目線の美意識の教示をされているように感じていたことを覚えています。自分の興味で読んでいたわけではなっかったことで、私にとってこの随筆との出会いは非常にもったいないものになってしまったように思います。

さて、大人になって読み返すと、何とも賢く、凛とした作者の姿が浮かんできました。

 

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職業婦人、清少納言

日本人の女性は、歴史の表舞台にほとんど登場しません。あるとすれば、政略結婚が関係するものがほとんど。「女」とだけ書かれた、家系図を歴史の教科書でもよくみます。それを、見分けるためだけのために書かれた、名前。
しかし、平安時代の二人の女性、清少納言と紫式部、この二人は必ず、皆様の記憶にあるでしょう。結婚によってではなく、自身の為したことで後世に名を刻んでいます。

今回は、「枕草子」を書いた清少納言について、お話します。

「角川書店編 ビギナーズ・クラシックス 枕草子」は非常に読みやすい構成になっていて、お勧めです。

枕草子 角川書店編

まず、格段の現代語訳を載せた後、原文。そして、注釈。
現代語訳を先に念頭に置いていると、不思議と原文がすーっと読めてしまいます。あと、現代語訳が、変な女子高生の口語のようなものにはなっていないのも、とてもありがたいです。いくら、幅広い年代をターゲットにしたいと思っていても、本来の作品の空気を損なってしまう解釈本はいただけません。
かといって、昔習った古文のように、原文から読むのでは気負いすぎます。現代語訳を先に読める構成はとてもありがたいですね。

そして、巻末の解説も、ぜひ、先に読んでください。

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分かりやすい構成・文章

『枕草子』は、平安時代中期、1001年(長保3年)頃成立した随筆である。

約三百の章段からなる「枕草子」。内容はふつう、次の三つに分ける。
第一に類聚的(るいじゅてき)章段。これは同種類のものを連想の依ってならべたててゆくもの。「鳥は……」「川は……」のように「~は」の形と、「すさまじきもの」「うつくしきもの」のように「~もの」の形がある。約百三十段全体の約半分近くがこの形式で、しかもこれは『枕草子』独自の形式であり、他に類を見ない。
第二に随想的章段。冒頭、「春は、曙」のような、類聚的章段に感想を交えたようなもの。
第三に日記的章段。清少納言の仕えた、中宮定子の後宮のようすを記録したもの。
「高炉峰の雪」や「逢坂の関」のように、機知に富み洗練されたやり取りを書いたものや、年中行事を書いたものなどで、四十段余りを数える。

解説より

解説にあるように、この随筆は、短い文章が並行して、とんとんと並べられる構成が多く、本来非常に読みやすい文章です。主語と述語も分かりやすく対になり、言いたいことがはっきり伝わります。この手法、清少納言が初めて編み出していたのですね。

そして、どの章段についても、当時の貴族社会の価値観を、定義づけ、示すことに、一貫性があります。

理想的な古文の、そして平安時代の貴族文化の、教材になる随筆なんですね。

 

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中宮定子のサロンの風景を写し取る

この枕草子のヒロインは何といっても、中宮定子。彼女の素養や教養を、あらゆる文章で清少納言が褒めたたえています。侍女の鏡、といったところでしょうか。それでいて、ビジネス的に、定子をプレゼンするために書かれたような、恣意的なものとも思えないのは、日々のあれこれを、「見苦しきもの」やら「かたはらいたきもの」(はらはらして困るもの)などに至るまで、様々に書き散らしていることからも分かります。
教養深く、風流を解する姿と同じくらい、正直で、生き生きした女性の姿も想像できるのです。
それだけに、年下である中宮定子に対しての、心からの尊敬や愛情ともとれる温かい目線が感じられます。

彼女は、中宮定子だけでなく、侍女たる自分の学のあることを、「書きたかったわけではないが」という風にしながら書いてしまう、計算高いのだか、かえって打算が出来ないのかわからないところのある作家です。少なくとも、解説を読むまでは、私の認識はそうでした。

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宮廷ならではの、「書かない」技術

しかし、彼女の「書かない」技術はもっともっと上でした。野生動物が弱った自身の姿を最期までさらさないように、彼女が書いている背後では、策略がめぐらされ、栄枯盛衰が起こっていました。殿上人たる誇りがそうさせたのか、主と仰ぐ人への忠心からか。清少納言は、仕えている定子が、父の死により叔父に追い落とされ、一度は落飾、その後宮中へ戻るも、25歳の若さで亡くなるまでの宮仕えを、作品の中では風流で煙にまいてしまいます。

『枕草子』には、政治的な暗い背景は描かれない。変わらず明るく華やかな宮廷生活、定子を中心とした知的遊戯が繰り広げられる。現実の事象を取捨選択して書くのも一種の虚構であり、清少納言という作家の資質を物語る。

解説より

まして、この「枕草子」の原稿が書かれたときは、清少納言は道長側(定子の叔父、定子を追い落とそうとした)に内通しているという噂を立てられ、長く里に引きこもっている頃だった、とも言われています。定子の一番傍に仕え、濡れ衣を着せられた状況。このような情勢で、政治的なことを書かない、賢さ。定子や、自身の潔白をむやみに嘆願しない、賢さ。
これが、どれだけ我慢強いことかは、世界史の中の様々な宮廷の歴史を少しでもかじれば、どなたにもお分かりでしょう。

 

清少納言の仕えた定子の対抗馬として、道長の娘彰子が天皇に入内します。この彰子に仕えたのが、紫式部ですね。紫式部は、清少納言に対し、敵意丸出しの文章を「紫式部日記」に残しています。

才気に優れた清少納言への嫉妬もあるでしょうが、主人同士がライバル関係にある中の出会いであったことを想えば、仕方がないかもしれません。しかし、直接的な批判を、落ちていく相手に浴びせてしまう紫式部は、清少納言より稚拙な印象を、後世に残してしまったように思います。

 

着物の色の重ね方ひとつ、手紙の紙の選び方、焚き染める香ひとつ、言葉選びのひとつに至るまで、研ぎ澄まされた修練を必要とした宮廷。一歩間違えば、反逆者とされる可能性のある宮廷で、さも、そんなことなど知らぬげに、清少納言の随筆は活き活きと宮廷の雅さを描き切ります。

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人生の7年間だけを切り取って

彼女の生涯についてもまた、よくわからない。当時としては長命で六十歳位まで生きたらしいが、その人生の中で、たった7年余だけが『枕草子』という形に結晶し、一千年の時を経て今も輝いている。

解説より

清少納言は、役職名。彼女が宮仕えした時の女房名です。正確には、彼女も「名が残っていない」ということになります。

しかしその文章はなんとも活き活きと、彼女の姿を残しています。皆様もぜひもう一度、この随筆に出会ってみては?

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平安神宮

平安神宮は平安遷都1100年を記念して、明治28年に遷都のおや神様である第50代桓武天皇をご祭神として創建されました。

平安神宮ホームページ

平安神宮 1

平安の雅を想い起こさせる、平安神宮。建物の朱色は、中国文化を国風文化へ昇華していく、その時代を象徴しますね。

この奥には、大きなお庭が4つ、それぞれの趣向で造られています。そのひとつ、南神苑は平安の苑、とも呼ばれます。平安時代の特色である野筋(道筋)と遣水(やりみず)が設けられ、平安時代往時の文学作品に登場する約180種を植栽しています。

平安神宮 3

平安神宮 4

枕草子を読んだら、ぜひ、訪れてみてください。

 

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