新京極通り・寺町通り
新京極通りは、寺町通りと並んで南北に延びる繁華な通りです。修学旅行生から、海外からの観光客、近隣の人たち、たくさんの人たちが行き交います。新しいドーナツ屋さんも、若者に人気のビレッチバンガードも、アジアン雑貨屋も、古くからの喫茶店「京極スタンド」「CoffeSmart」、ロンドン焼き屋、お寺、古書店に数珠屋。新旧全てが混在しているこの二つの通り。この、新旧の混在ぶりが、本当に魅力的です。
「蛸薬師さん」
この二つの通りにはあの、「本能寺」をはじめお寺もいくつもあるのですが、今回は「蛸薬師堂」をご紹介します。正式名称は「浄瑠璃山 林秀院 永福寺」。通称「蛸薬師さん」。
ご本尊は薬師如来さま。薬師如来とは、皆の病気を治して、苦しみから救い、厄災を鎮めてくれるありがたい仏さまです。では、この永福寺の幟(のぼり)に書かれた、蛸薬師如来とは、何なのでしょう。お寺の、紹介が書かれた駒札には、元々、このお寺が二条室町にあったころ、近くに池があり、「澤薬師(たくやくし)」とも呼ばれていた、それがなまって蛸薬師となったとも書かれています。また、その駒札に、もう一つの由来が書かれているようで、今回はそのエピソードをご紹介します。
「母親思いのお坊さんの逸話」
参考にした書籍 柏井壽 「せつない京都」(幻冬舎新書)
京都を紹介する本を多数出している著者による、〈せつない〉をテーマにした京都本。
なかより、蛸薬師についての抜粋です。
「老いた母のために戒律を破ってしまったお坊さん」
『「永福寺」にはかつて、善行というお坊さんが、年老いた母親と一緒に住んでいました。善行は親孝行な僧侶として知られていて、僧としての出世を望まず、母親の面倒をみやすいお寺を選んで勤めていたといいます。そんな母親があるとき重い病にかかってしまいます。善行がどれほど手厚い看護をしても、一向によくなりません。何より食欲がなく、どんどんやせ細っていくのです。(略)
「もしも何か食べたいものがあるなら言ってください。できる限りのことはしますから。」
すると母親の口からは思いもかけない名前がでました。
「蛸が食べたいんやが、あかんやろなあ」
(略)きっと善行も困惑したことでしょうが、聞いてしまったからには、捨て置けません。近くのお店は避けて、顔が知られていない遠くの魚屋さんまで足を延ばして、どうにか蛸を買い求めることができました。(略)すぐそこが「永福寺」。まさに門前で、知り合いの檀家さんに出会ってっしまいます。(略)なんだか生臭い木箱を抱える善行を見て、檀家さんは箱の中に何が入っているのか問いかけます。(略)覚悟を決めた善行は、木箱のふたを開けてみせました。
「なんや。ただの経巻かいな。わしはなんぞ生臭いもんでも入っとるんかと思うた。疑うてすまんかったな。」
あとにひとり残った善行は茫然自失します。ピンチが救われたのはよかったが、経巻を母に食べさせるわけにもいかず。しかし思いなおした善行は、児との次第を母に話し、蛸を食べさせることができなかったことを詫びます。
「許しを乞うのは私のほうや。戒律を破らせるようなことをしてすまなんだ。この経巻のほうがどれほどありがたいことか」(略)と、そのときです。経巻が稲妻のような光を放ちはじめたのです。経巻は元の蛸の姿に戻り、母親を光で照らすと、やがて消えていったのです。その光の効果は絶大なものがあり、見る間に元気を取り戻した母親は、その後長生きしたのだそうです。』
何とも心が温まるお話ですよね。
お参りと、思い出と。
蛸薬師さんに、お参りさせていただきました。中は撮影は控えましたので画像にはありません。入り口から正面のお堂に薬師如来さまが祀られています。右側に、奥に続く通路が。
こちらの先にもお堂があり、周りには数々の絵馬。蛸の絵が描かれた絵馬には、自分やご家族の健康を願う言葉が詰まっているのでしょう。来訪者の交流ノートも置かれ、生きたお寺の祈りに触れることができました。
蛸と言えば、私自身の思い出があります。私は、幼少の頃、蛸のお刺身が大好きだった時期がありました。覚えているかいないかぎりぎりの記憶なので、小学校1年生くらいだったと思います。その頃からずっと年に1,2度、母方の叔母の家に行かせてもらっていたのですが、毎回、食卓に蛸のお刺身をのせてくれていたのです。私自身が、蛸をそこまで好きだった記憶がなくなっていて、「何で毎回蛸が?」と聞いたことで、幼少の自分の発言のせいだったことを知りました。何故か、叔母は、私が蛸の形の滑り台(公園にある)も大好きだったよね、と言うのですが、これもあいまいな記憶です。
皆さんも、ありませんか?おじいちゃんやおばあちゃんが、自分の子供のころ好きだったものを行くたび、行くたび、わざわざ買って、待っていてくれたこと。もう、今は好きなものも変わったのになあ、と思うのに、彼らの中ではずっと更新されない、なんてこと。きっと、幼少の自分が、会心の表情で笑ったんでしょうね。それを、ずっと覚えてくれているのです。
父方の祖母はミルク飴や、イチゴの小さな三角の飴、穴の開いたラムネや、ヤクルトでした。(母が歯医者だったので、背徳の味でした。)
何だか、愛されていたなあ、としみじみ思います。
突然、蛸が食べたいと言った母親のため、自分の僧としての戒律を破っても、届けたかった善行。ひたすら、誰かのために、できることを成し遂げる。本当にすてきなことです。
この、蛸薬師さん、外にもご本尊にまつわる逸話や「英福寺」入り口右側にある地蔵堂の「鯉地蔵」の逸話などがある、とのこと。人々の生活の中でずっと生き続け、逸話も増えていくのでしょう。
新京極通り アクセス・情報
阪急 京都河原町駅すぐ
寺町、新京極は修学旅行生にも、大人気の通り。お寺だけに行くのがおっくな学生さん、寺町通りなら、お寺の敷居もひょいっと超えさせてくれますよ。もともと祈りは生活の中に根付いているもの。改まらなくったって、行けるのです。ちょっと立ち寄って、ご家族や、お友達の健康を御祈願してみては?
田丸印房さんの、はんこ。お土産にいかが?
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