【日本の宗教①】八百万の神様と祈りの形【懐の深い日本の神様】

伊勢 夫婦岩 京都のお寺・神社 

神社は、「神道」の神様を祀る場所。今回は、「神道」の成り立ちを簡単に解説します。

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神道ってなんだっけ?

神道は、日本人が自然や祖先、歴史上の偉人を恐れ敬うところから始まった宗教です。

日本独自の宗教で、「民族宗教」にあたります。学術的な分類や、「穢れ」「禊ぎ」「祓い」といった用語はまた、別ページを作っていますので、今回は大まかな神道の考え方の紹介をしていきます。

【日本の宗教②】「神道」を簡単におさらい!特徴と大事な用語3つ

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八百万の神様

神社が祀っている神様をみてみると、「日本神話に登場する神様」「自然を司る神様」「偉人が祀られてなった神様」大きくこの3種類です。
そして、「神話に登場する神様」はほとんど「自然を司る神様」です。
「神道」は、自然そのもの、自然が起こす現象、動物などを神聖なものとして扱っている宗教なのです。

さらに、その自然から恵みをうけ、災害を乗り越えて生活を勝ち取ってきたご先祖や、自分たちの共同体を守った偉人たちも祀ってしまう、という汎用性の高い宗教でもあるんです。

 

     神の種類            神々の例
日本神話に登場する神様 「天つ神」伊邪那岐命、伊邪那美命、

天照大神(アマテラスオオミカミ)など

「国つ神」スサノオノミコト、

大国主命(オオクニヌシノミコト) など

自然を司る神様 天照大神→太陽

カグツチ→火

大山祇神(オオヤマツミ)→山 など

偉人が祀られてなった神様 八幡様(源氏の氏神) 厳島明神(平氏の氏神)

崇徳天皇 藤原道真 など

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神道の参拝の場「神様はそこにいる」

神道とイスラム教、キリスト教などとの違いは一神教か多神教かということだけではありません。

「祈りの場」に対しての姿勢も異なります。

イスラム教、キリスト教の神やキリストなどは教会や寺院にいるのではありません。
教会やモスクなどの施設は礼拝を行うための場、神はあくまで天にいると考えられています。イスラム教は、神の像をつくる、ムハンマドの像をつくるといったことすらも禁じています。神そのものではないものを拝んでも意味がないと捉えているのです。

神社にも、神の像は置かれません。しかし、神道における神社はまさしく神がいる場です。日本の古代の人々は、神様は特別な日や時期に「依代」に宿ってあらわれる、と考えました。「依代」は常緑樹だったり、岩や石であったり、山そのものであったりします。常緑樹なら「神籬」(ひもろぎ)、岩や石なら「磐境」(いわさか)、山なら「神体山」(しんたいさん)とよびます。

神社のお社、拝殿の奥にあるのは、依代としての鏡や玉、剣などです。

『この神社の「ご神体」は~です』といった説明をよく聞くと思います。それのことですね。

神社の成り立ち

古代の人々は「依代」に神が降臨する日に祭壇を設け供え物をして迎えました。この迎える場を「屋代」(やしろ)と呼んでいました。
後に「社」となり「神社」の語源となったものです。当初は、「屋代」は祭りが終われば撤去されていましたが、「依代」のある神聖な地を守ろうと、周囲に常緑樹を植えたり、玉垣(たまがき)を結って、次第に祈りの場が常態化したようです。

自然を神とする以外でも氏神信仰では祖先に対し、神になっても住む場所が必要だろうという考えから、特定の場をつくるようになります。

さらに仏教が伝来し、寺院という建物の存在が知られると、神道もその影響を受け、常設の宗教施設としての神社がつくられるようになっていきました。

成り立ちを紐解くと、神社は「まさしく神のいる場」であること、お分かりいただけたかと思います。神様に直接会いに行く場所、と考えると嬉しく有難い気持ちになりますね。

仏教との共存

日本に仏教が入ってきて、広がりをみせるのは聖徳太子が活躍した頃。神道と仏教の共存までに、天皇家を中心に争いも起きます。仏教の教えを軸に政治や教育を進めようとした聖徳太子が勝利し、仏教は日本で栄えることになっていきます。しかし、そこで神道をないがしろにはしなかったのも、日本の面白いところですね。

その後の日本は神道の考えに、仏教の教えや考え方の一部は融合させ、共存していきます。日本の神は如来や菩薩が姿を変えたものなどと解釈され、仏教が優位な時代が長かったようですが、神仏習合という形で、1000年ほどの年月にわたって互いに影響しあいました。

歴史的書物には僧侶が神社の神輿を担いで強訴をした記述が出てきたりもします。明治政府によって神仏分離が行われ、敷地が分かれたケースも多いですが、今でも同じ敷地にお寺と神社がある所も京都などにみられます。

いずれにせよ、仏教における寺のように神社もまた常設の社を持ち、そこを守る神官や巫女を常駐させるものとして進展しました。独自の祭りや特色は、連綿と引き継がれてきたのです。

 

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祈りについて 「自分の利益を祈って大丈夫」

祈りの中身のついても、考察してみましょう。

神社は古くから、私たち日本民族の、現実世界での利益を祈る場でした。

台風や地震、日照りなどの自然災害から逃れる、あるいは起きてしまった災害を鎮めてもらうのも現世利益です。豊作、商売繁盛、勝運祈願、縁結びに金運など、色々な願いを掛けられてきたのですね。

自己の内面を見つめ、お願い事などせず、品行方正でいなさい、という無欲を良しとする宗教とは少し違うのです。
神社においては、人間が持つ欲求を否定することはないのですね。ですので、自分の心を偽らず、お願い事をしてみましょう。

もちろん、マナーはきちんと守りましょう。周りの人を押しのけたり、大声をあげたりしてはいけませんよ。

私は、参拝するとき神様へのご挨拶と、自分の住所や名前を名乗ってから(声には出しませんが)お礼やお願い事をしています。神様の側からすれば、日に何十人、何百人と来られて、祈られているのでしょうから、自分がどこの誰かを名乗るくらいしないと参拝したことに気付いて頂けないかなと思うのです。

神社の祀っている神様によって、得意な分野は異なるようです。争い事、勝負運に強い神様、家内安全、病気平癒に強い神様、芸事、商売に強い神様、などなど。同じ神様でも荒魂・和魂と分けて祀られていることもあります。

訪れる神社を選ぶ際には、その神様の特性なども調べると、面白いですよ。

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終わりに

ここまでみると、神道は、懐の深い宗教だということが分かりますよね。
全てのものに敬意をはらい、支配しすぎず、共存しようとしてきたのだと考えられます。

このことが、後の仏教や儒教の伝来による融合や共存、キリスト教伝来の後の共存(政治体制によっては許されない時代もありましたが)も可能にしているのです。

「生活道具や、お米の一粒一粒にまで神様がいるよ」と、私は母から聞いて育ちました。自分は無宗教だと思っている、多くの日本人もきっとこのフレーズを聞いたことがあるはずです。「神道」は、お祭りや初詣だけでなく、生活でも馴染んでいるものなんですね。

神道の成り立ちについて、社について、祈りの中身について、簡単にご紹介しました。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

今回の記事の参考文献

『常識として知っておきたい 日本の三大宗教』(株式会社河出書房新社)

 

 

 

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