「八島の戦い」をへて、「壇ノ浦の戦い」の開戦まで、アニメ10話終盤では、頼朝に報告する、回想として、描かれました。
「屋島の戦い」では、義経の超人的な戦ぶりや、梶原景時との対立があり、逸話の宝庫です。有名な、那須与一の活躍も、この戦いでの一幕です。
今回、びわが吟じたのは「壇ノ浦の戦い」の開戦の場面。「屋島の戦い」での那須与一の一場面と、「壇ノ浦の戦い」の開戦の場面について、みていきましょう。
弓の名手、那須与一
「屋島の戦い」では、少数でゲリラ的策を弄した義経に、平家方は海上へと押しやられました。源氏が大軍であると思い込んだ平家は、八島に築いていた内裏を捨てることになってしまったのです。
源氏が少数であると気付き、陸に上がろうとしますが、それも叶いません。アニメでは”悔し紛れに”、と表現されていましたが、平家はある勝負をしかけました。小舟の舳先に、深紅の地に金色の日の丸が描かれた、扇を掲げたのです。「射れるものなら射てみよ」と。その裏で上陸ができたわけでもなく、戦いに実際に影響があるとも思えませんが、弓の腕前を知らしめることができるかと、挑発したのです。
源氏方では、義経に抜擢された、那須与一。彼に、焦点があたった、一幕です。
巻第十一、「那須与一」より
訳文
といって、ひきあげようとしたところへ、沖のほうからりっぱに飾った小船が一艘、汀に向って漕ぎ寄せてきた。磯へ七、八段ほど(一段は約11m)になったところで、船の向きを横にした。
「あれはどうしたのか」
と見るうちに、船の中から年のころ十八、九ばかりの、まことに優美な女房が、柳の五衣に紅の袴を着て、紅の地に金色の日を描いた扇を船棚にはさんで立て、陸に向って手招きをした。判官は後藤兵衛実基を呼んで、
「あれはなにか」
と言われると、
「射よということでございましょう。ただし大将軍が矢面に進み出て、あの美女をごらんになれば、弓の名手に命じてねらって射おとせという計略かと思われます。それはともかく、扇を射させられるのがよいと存じます」
と申した。
推挙され、義経の前に畏まった、那須与一。彼はまだ、二十歳の若者でした。もっと確実に射ることが出来る者を指名してほしいと、辞退しようとします。しかし、
「鎌倉をたッて西国へおもむかん殿(との)原(ばら)は、義経が命をそむくべからず。すこしも子細を存ぜん人はとうとう是よりかへらるべし」
とぞ宣(のたま)ひける。
とある通り、どうやらやるしかない状況だったよう。さて、若い与一は大丈夫だったのでしょうか。
巻第十一、「那須与一」より
時は二月十八日の午後六時ごろんことであったが、ちょうどその時北風がはげしく吹きつけて、磯にうち寄せる波も高かった。船は上へ下へと波に揺られて漂うので、竿の先の扇も止まることなくひらめいていた。沖には平家が船を一面にならべて見物している。陸では源氏が馬の轡(くつわ)をならべてこれを見つめている。どちらも、晴れがましくないことはなかった。
与一は目をとじて、「南無八幡大菩薩、わが国の神々、日光権現、宇都宮の明神、那須の湯泉大明神、どうかあの扇のまん中を射させてください。もしもこれを射そこなうことがあれば、弓を切り折って自害し、人にふたたび顔を合せぬ覚悟です。もう一度本国へ帰らせてやろうとお思いでしたら、この矢をはずさせなさらないでください」
と心の中で祈念して、目をひらくと、風もすこし弱まって、扇も射やすそうになった。
与一は鏑矢をとり弓につがえ引きしぼってひょうと射放った。小柄ではあるが十二束三伏の矢を強い弓で放ったので、鏑矢は浦一帯に響くほど長く鳴って、あやまたず扇の要ぎわ一寸ばかりのところを、ひいふっと射切った。鏑は海に落ち、扇は空に舞いあがって、しばらく空中にひらめいたが、春風に一もみ二もみもまれて、海へさっと散ったのであった。夕日の輝くなかを、皆紅の地に金色の日の丸を描いた扇が白波の上に漂い、浮いたり沈んだりして揺られていくと、沖では平氏が船ばたをたたいて感嘆した。陸では源氏が箙(えびら)をたたいて歓声をあげた。
見事、扇を射た、那須与一。射なければ、自害するしかない、というプレッシャーのなか、二十歳の若者はやりぬきました。源氏方だけでなく、平家方も、船べりをたたいて喝采をおくりました。しかし、調子に乗って舟の上で踊り出した平家の者が一人、敢え無く射取られ戦の緊張感が戻ります。
結局、平家は八島から、西へまた逃げるしかありませんでした。
「壇ノ浦の戦い」開戦へ
九州に再び追い詰められた平家。最後の、戦が行われようとしています。『平家物語』には、この最後の海戦においても、平家方に、また一人、魅力的な武将が描かれています。
「壇ノ浦の戦い」の場面では、泰然自若とした平知盛の姿が、何とも印象的です。戦いの始まりは、アニメ10話、終盤で、びわが吟じています。
巻第十一、「鶏合 壇浦合戦」より
都で風流を極めたことで忘れそうになりますが、平家は、もともと瀬戸内海で勢力をのばした武家です。海賊の平定も、船での交易も行っていたのですから、海戦は得意でした。
最後の戦いと覚悟を決めたからには、名誉ある戦いを。平知盛の鬼気迫る、決意の言葉です。
今回はここまで。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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