【森鴎外 「高瀬舟」】濃い影をもつ京都の一面【足るを知る心】

高瀬川 木屋町通り 本を片手に京都をめぐる

華やかな街、豊かな人々が集う京都という場所で、貧困の中にあった兄弟。その兄が弟を殺した咎で罪人を運ぶ高瀬舟に乗っています。夕方から夜になってゆく、そんな静かな高瀬川の上、同心と罪人、二人の間の会話だけで進むこのお話は、なんとも圧倒的な力をもって、胸に迫ります。

高瀬川

 

 

スポンサーリンク

森鴎外『高瀬舟』

岩波新書「山椒大夫・高瀬舟」(1938年、第一刷発行)短い時間で、スッと読める短編です。
森鴎外は、1764年~1789年に神沢杜口によって著された随筆「翁草」にこの話がある、として『高瀬舟』を発表しています。

高瀬川、高瀬舟って?

高瀬川は、鴨川から取水して鴨川と並行して京都市内を流れる運河です。高瀬舟は河川で用いられた喫水の浅い(船底から水面までの浅い)、底が平らな船のこと。

高瀬川は、阪急の四条河原町駅から、鴨川へ向いて歩けば、1,2分で見つけられるでしょう。等間隔で和風の街灯が立ち、木立に囲まれた小さな流れです。いわゆる祇園・先斗町は高瀬川と鴨川に挟まれたエリアです。高瀬川は、二条の辺りから、九条の辺りまで、木屋町通りに沿って今でも流れを見ることができます。

 

スポンサーリンク

あらすじ

舞台は松平定信の政柄、とあるので1758年~1829年頃の京都、桜が散る春の終わりの夕べ。罪人として、遠島〈島流し)を申し渡された者を大阪まで送る高瀬舟の上。
高瀬舟の護送を務める町奉行所の同心による語りで、物語が進みます。

この日高瀬舟で運ばれるのは、弟を殺した罪をもつ、喜助という男。常日頃送る他の罪人とあまりに違う喜助に、同心はその心情や、罪を犯した経緯について問います。

「なるほど島へ往くということは、外の人には悲しいことでございましょう。その心持はわたくしにも思い遣って見ることが出来ます。しかしそれは世間で楽をしていた人だからでございます。京都は結構な土地ではございますが、その結構な土地で、これまでわたくしのいたして参ったような苦しみはどこへ参ってもなかろうと存じます。」

そう語りだした喜助は、居てもよい場所が与えられたこと、牢では食事を与えてもらったこと、二百文のお金をお上に戴いたこと、それらを有難いことと話し、

「わたくしはこの二百文を島でする為事(しごと)の本出にしようと楽しんでおります。」

というのです。

ここまで読んだだけでも、この喜助という人物に吸い寄せられてしまう読者は多いはず。

さらに、同心に聞かれるままに喜助は、弟を殺してしまったその訳を語ります。親を亡くし、兄弟二人きりとなり、助け合ってきたこと。弟が病気で働けなくなってしまったこと。
ある日、為事からもどると、弟が血だまりの中にいて「早く死んで兄きに楽がさせたいと思った」弟が、自分で喉を切り、死にきれずにいたのをみつけたこと。そして、

「これを旨く抜いてくれたら己は死ねるだろうと思っている。ものを言うのがせつなくっていけない。どうぞ手を借して抜いてくれ」

そう言われ、ついに殺してしまったこと。

全てを、丁寧な言葉で語り切り、喜助は視線を膝の上に落とします。

スポンサーリンク

作者の意図

森鴎外は、喜助の足るを知る心、また安楽死というテーマを含んでいること、この二点を「面白い」問題点だと「附高瀬舟縁起」に記しています。

『足るを知る』

森鴎外は同心である庄兵衛にこのように語らせます。

「人は身に病があると、この病がなかったらと思う。その日その日の食がないと、食って行かれたらと思う。万一の時に備える蓄えがないと、少しでも蓄えがあったらと思う。蓄えがあっても、またその蓄えがもっと多かったらと思う。かくの如くの先からへと考えて見れば、人はどこまで往って踏み止まることが出来るものやら分からない。それを今目の前で踏み止まって見せてくれるのがこの喜助だと、庄兵衛は気が附いた。」

『安楽死』

森鴎外はユウタナジイという言葉として紹介しています。「従来の道徳は苦しませておけと命じている。しかし医学社会には、これを非とする論がある。即ち死に瀕して苦しむものがあったら楽に死なせて、その苦を救って遣るが良いというのである。」

皆さんは、どの様な感想を持つでしょうか。

スポンサーリンク

 理想化された「清貧」。でも…

理想化された清貧

喜助の持つ、静謐で気高い空気が圧倒的な魅力の短編です。

ただ、この作品は、貧困の当事者である人物をきれいに書きすぎているきらいがあります。実際に貧しくその日暮らしをしていて、このような悟りに近い態度でいるのは、かなり人間離れしている人物描写ですよね。学問やしつけを受ける機会がなければ、あのような物言いにもなりません。

喜助は、作中世間に恨み言は言わずにいますが、客観性もある人物なので、世間の人を羨む気持ち自体はあっただろうと思います。「それは世間で楽をしていた人だからでございます」このセリフは、強烈な皮肉も含んでいるように、私には映ります。

もちろん喜助の心情や、気高さまでが貧困で失われると思うわけではありません。人より苦難が多く、それでも、それだからこそ、磨かれた人格であったのかと思います。

罪を犯し、遠島を申し渡された時点で始まる物語。喜助の言葉は長い間の苦しみから解放され、許しを得た人の言動のように感じました。

弟の死を安楽死ととらえれば、喜助は罰を受けるべきではありません。この流刑が、喜助にとっては罰ではない、というところに救われる思いがします。

光が濃ければその影も濃く。貧困と孤立

この作品で最も私の心を揺さぶるのは、まさに貧困の弊害である世間との関わりの薄さ。世話を頼むおばあさんもいたのに、喜助たちの側から、「申し訳ない」と線を引いていたようにも思います。

世間への甘え方もまた、貧困の人が知る機会が少ないもの。周りの人も皆貧しければ、そんなことはないでしょうが、世間から外れて貧しい状態は、自尊心を奪います。影に日に「自分たちは厄介者」と感じながらいたのだろうか、と切なく思うのです。引け目を感じて引いてしまうか、これ以上搾取されまいと身構えてしまうか。貧困にある人にとって世間は、けして自分を受け入れない場所と映ってしまうのです。

くしくも高瀬川の流れは、富を持った者がそぞろ歩く、先斗町の端を流れます。灯り始める歓楽の明かりは、喜助にはどう見えたのでしょう。

「いてもいい」場所が京都になかったと喜助やその弟が感じてしまっていたことが、何より悲しい世間との隔たりを思わせます。

コロナ禍で、病や貧困が、すぐ隣にあることを、私たちが実感している今、また読み返したい作品ではないでしょうか。

理想化された「清貧」。でも、美しい文章と悲しみに浸ってみたい、そんな作品です。

スポンサーリンク

作品を読んで行ってみたい場所 観てほしい作品

高瀬川

まだまだ暑い京都ですが、水辺の風景は涼を感じさせてくれます。魅力的な飲食店もこの界隈に多数あり、散策にはぴったりですよ。

フランソア喫茶室

フランソア喫茶室 

1934年創業の喫茶店。イタリアバロック様式の店内でクラシックを聴きながらくつろいで。

こちらは、四条河原町駅出口1を上がって、高瀬川沿い徒歩1分。

お休み 12月31日、1月1日。

営業時間 10時~22時。(ラストオーダー21時30分)

高瀬舟DVD 成宮寛貴出演

BUNGO ‐日本文学シネマ‐ 高瀬舟 DVD

成宮寛貴が喜助を演じる、お勧めの作品。

 

 

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました